「鎌倉恋便り」




家康懇意の寺 「 久 成 寺 」(第68回)



県立フラワーセンターの正門前を通るバス道路を進み坂を上がった場所に久成寺(くじょうじ)があります。日蓮宗の寺で山号を光円山といいます。

梅田尾張守秀長が1520(永正17)年に宅地を寄捨して開基となり、1531(享禄4)年に亡くなった日舜を開山としています。秀永は小田原北条氏の家臣といわれ、1534(天文3)年に亡くなってます。
徳川家康が度々立ち寄り懇意にしていた寺であり、家康から賜った行厨とか破(割)子ともいう弁当箱が寺宝として現存しています。

また本堂には本尊として三宝祖師を祀り、日蓮上人像や鬼子母神像、境内には大船観音の北の台地の長尾台から移された長尾定景の墓もあります。
                 

 




写   真       解    説      
久成寺坂から三門を望む

県立フラワーセンターの正門前を通るバス道路を藤沢方面に進むとやがて上り坂になります。
この坂を久成寺坂といい、寺は坂の手前の信号右手奥にあります。

写真は久成寺坂から三門を正面に望んだところです。
久成寺三門

三門をくぐり、日蓮像を左手に見ながら石段を上がると正面奥に本堂と庫裡があります。

寺は徳川幕府と関係が深く、葵の紋所を寺の紋としています。
「新編相模国風土記稿」によると四代住職日がい上人は、天下の安泰を祈って法華経3000部の読誦を開始しました。小田原攻めの際、寺に立ち寄った家康は祈祷を頼み、その恩賞として寺領三石を寄進したといわれています。
長尾定景一族の墓

境内には長尾定景と一族の墓と伝えられる石碑が立っています。

定景は、将軍実朝を討った公暁を斬った武士で、その子孫には長尾景虎(のちの上杉謙信)がいます。

しかし、墓石?は実は室町時代の宝塔で、そばには一族の墓と同じような宝塔や五輪塔が多数あり、板碑もあります。



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