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ちょこんと海に張り出した小動岬(こゆるぎみさき)。その地の地名は「小動の松」という風もないのにゆれる美しい松がこの地にあったという伝説にちなんでいます。 小動神社(こゆるぎじんじゃ)はこの岬にある地元の鎮守社です。 石造りの鳥居をくぐると右手に小さな社があって、左奥に展望スペースがあります。何の変哲もないコンクリートの囲いがあるだけの小さなスペースですが岬からの眺めは天下一品! 左に大きく延びる三浦半島、正面に大島、右手に江ノ島、眼下には腰越漁港と180度さえぎるものがなく、晴天であれば向こうに富士山も望むことができます。 神社の縁起によれば、1185〜1190(文治年間)源平合戦で活躍した佐々木盛綱が江ノ島の弁財天に参詣に行く途中、その松と眺めに魅了され、父祖の領地近江国の八王子宮を勧請したのが始まりとされています。盛綱は葉をゆらせて琴のような音を奏でる松を「天女遊戯の霊木」と称えたと伝わっています。 |
| 写 真 | 解 説 |
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小動神社の入口は、海岸を通る、国道134号線に面しています。 江戸時代、小田原城主:大久保忠真は、牛頭天王(須佐之男命)・歳得神・日本武尊の三神を祀るところから「三神社」と呼び扁額を奉納しましたが、1868(明治元)年、神仏分離で小動神社と改称。 1873(明治6)年には腰越区の鎮守として村社に列格されました。 神仏分離令以後も1917(大正6)年まで浄泉寺の住職が小動神社の別当を務めていました。 |
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1333(元弘3)年5月、新田義貞も鎌倉攻めの際に戦勝祈願し、後、奉賽として太刀一振に黄金を添えて寄進し、社殿を最高しました。 八王子宮とは、須佐之男命の御子神五男三女神をいいます。 関東大震災で江戸期建立の本殿が倒壊しましたが、1929(昭和4)年に復興されました。 「天王祭」は、江ノ島八坂神社神輿との出合祭も行う大規模なもので、かつては各町から飾人形の付いた山車が繰り出し、そのため腰越の路面を走る江ノ電の架線は取り外されたと聞きます。 |
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境内裏手に広がる海の眺めは素晴らしいロケーションです。 1930(昭和5)年11月29日、この岬で銀座の若い女給さんと帝国大学(現東京大学)の学生が心中事件を起こし、女性は亡くなり男性だけが助かりました。 この時の学生が当時22歳の津島修治、のちの作家・太宰治です。 太宰は後年、その事件を素材に小説「道化の華」を書いています。 |