「鎌倉恋便り」



日朗の土牢が残る 「 光 則 寺 」(第25回−2)



鎌倉駅からバス10分。長谷観音前で下車し歩くこと5分。静寂な路地の奥に、日蓮宗の光則寺(こうそくじ)があります。

光則寺の山号は行時寺、開山日蓮の弟子日朗(にちろう)です。
開基は宿屋光則。光則は北条時頼の近臣で幕府の重職にあって、日蓮の「立正安国論」を時頼に取りついだといいます。1271(文永8)年に日蓮が瀧ノ口法難で佐渡へ流されたさい、日朗達弟子も捕らえられて土牢へ幽閉されました。しかし、光則は日朗達を厚遇し、のちに日蓮に帰依して自らの屋敷を寺とし、父行時の名を山号、自分の名を寺号に行時山光則寺としました。4月上旬にはピンクのカイドウが咲き乱れる素敵なお寺です。

本堂の裏手にまわり、樹木に覆われた山道を歩いていくと日蓮が佐渡へ配流されたときに日朗が幽閉された土牢が残っています。また、その脇には、日蓮が日朗に宛てた手紙の文面が刻まれた石碑が建っています。

光則寺の北側の桑ケ(くわがやつ)と呼ばれるあたりは、極楽寺の開山忍性(にんしょう)が貧しい人々や病人のために大療養所・浴室・宿泊所・授産所などを設置して社会事業を行ったところです。忍性は日蓮から激しく敵対視され、いろいろな避難を受けました。しかし、民衆が彼を生き仏として崇め、没後、菩薩の称号 を受けることになります。                  

 




写   真       解    説      
光則寺三門

緑に包まれた静寂の中に光則寺三門は見えてきます。
朱塗りの門をくぐると正面に日蓮の直筆を写したという石碑が立ち、 背後に本堂が、裏手に土牢があります。

なかでも本堂前のカイドウ(海棠)の古木は、樹齢160年、 樹高7m、根回り1.2mという見事なものです。
日朗が幽閉された土牢

日蓮が佐渡に流された際、その一番弟子であった日朗は北条時頼の家臣、 宿屋光則に預けられ土牢に幽閉されました。
今も裏山に残る土牢は、暗い洞窟にがっしりとした格子がはめられており、 見るからに寂しげなところにあります。

監視役の光則は、幽閉した日朗に接するうちに日蓮宗に傾倒していき、 やがては自らの邸を改築し光則寺にしてしまいます。



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