「鎌倉恋便り」



500年も風雨にさらされてきた大仏
「 高 徳 院 」 (第52回)Part 2



写   真       解    説      
大仏の背中

遠くから大仏を眺めると、縦や横に鋳継目をはっきりと見ることができます。下から八段階に継いだあとがくっきりと浮き出ています。

木像を原型とした鋳造法は、木像原型に対して鋳物砂を外側に塗りかため、外型の鋳型をつくります。その後外型を使って中型をつくるのですが、これらはいくつにも分割して充分焼き固められてつくられました。そして中型は表面を鋳物の厚さ分だけ削り取ります。これだけの準備ができたら中型となるブロックを二段ほどに積み、内側には土を積み押さえとします。外側には外型を置き、やはり土で押さえをして中型と外型の間に溶金を流し込みます。ここまでの作業が終了すると、再度中型、外型をセットして溶金を流す。この繰り返しです。

鎌倉大仏の場合は、この作業が八段階に分けて行われ、最終的には大仏が土中に埋まった形となりました。
仕上げは大仏の周囲や胎内の土を取り除くわけですが、大仏の背中の窓の部分は胎内の土を取り出した穴だともいわれています。
大仏胎内

鎌倉大仏の工法は「高徳院国宝銅造阿弥如来坐像修理報告書」をはじめとする報告書に載せられています。
その特筆すべき箇所としては、首は胴体につくった棚にはめこまれていることです。完全に接着していないのは耐震性を考えてのことであろうか。
それにしても当初のままの姿で今日までびくともしないという技術は大変なものです。

胎内に入ると、できたばかりのような鋳造のあとが生々しく見られます。
頸部内面の「ねん土」を塗ったように見える部分は、1960(昭和35)年に強化プラスチックを張り重ね、頭部を支える力を強化したものだそうです。



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