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鎌倉駅から小坪経由の逗子行きのバスに乗って10分、光明寺(こうみょうじ)で降りた。 浄土宗の大本山などというと格式張った寺を想像してしまいますが、ここは近所の住民が散歩に来たり、子供が隠れんぼをしたり、また多くの猫達の憩いの場ともなっているようで、たいへん庶民的雰囲気が漂っています。 要するにいつでも境内に入って拝観でき、拝観料がなくスケールの大きいお寺なのです。小生は度々このお寺に上がっては心を遊ばせております。 鎌倉三十三観音霊場 第七番札所(聖観音) 鎌倉三十三観音霊場 第十八番札所(如意輪観音) 鎌倉三十三観音霊場 第十九番札所 光明寺蓮乗院(十一面観音 ) 鎌倉三十三観音霊場 第二十番札所 光明寺千手院(千手観音) と鎌倉三十三観音霊場に四札所も指定されている寺院でもあります。 夏のこのあたり(由比ガ浜)は、海水浴シーズンで大変ににぎわう場所です。 余談ですが、日本で最初に海水浴場が開かれたのは明治18年、神奈川県大磯海岸でした。当時の海水浴は今日のそれとは全く違い、軍医総監・松本順によって身体鍛錬と健康増進の為に海につかるという目的でした。 しかし、なんといっても当時の大磯は京浜から遠く、2年後の明治20年頃になると鎌倉の由比ガ浜こそ、海水浴場の適地だとの声が高まり、明治22年の横須賀線開通と重なって交通の便がよくなり、利用者も一気に増え大正時代には海水浴が大衆化され今日の由比ガ浜海水浴場となりました。 そんな場所柄のせいか、光明寺は自然に心を開いてくつろげるお寺です。小生は光明寺を知ってから、本来庶民にとっての寺とはこのような所であるべきではないか? という思いをもちました。光明寺は大好きなお寺です。 開基は執権北条経時で1243(寛元元)年創建。浄土宗第3祖良忠上人の霊跡でもあります。総門をくぐると広い境内に大伽藍が展開します。 右に蓮乗院、左に千手院の子院が並び、正面には江戸後期につくられた高さ30mの重層山門が建っています。三門を抜けると本堂、その右脇には枯山水様式「石庭」。本堂の左手には開山堂・書院・大悲閣が「蓮池の庭園」を囲んで並んでいます。桜、ツツジ、サツキ、アジサイ、ハスなどが美しく、2名以上で予約すれば本格的な精進料理もいただくことができます。 また、毎年10月12日の夜から15日朝まで行われる「お十夜」の行事は今でも盛んで、関東一円から信者が集まり普段は静かな境内も、13日・14日は植木市や露店もたち並び賑やかになります。本来お十夜とは10日間夜を徹して念仏を唱える念仏法要ですが、光明寺では4日間に短縮して行っています。 |
| 写 真 | 解 説 |
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浄土宗の学問所、関東十八檀林の筆頭であることを示す 「関東総本山」という石柱が目に入ります。 1624〜44(寛永年間)に再興された総門を入ると広い境内に大伽藍が展開し、 山門手前にはいくつかの塔頭もそろっています。 写真では総門の遠方に三門が写っています。 寺の威厳を示しながらも、少しも権威的に映らず親しみを感じさせてくれる光明寺です。 |
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鎌倉に現存する最大の門であり、関東随一の規模ともいわれている三門は見事なものです。 間口5間の巨大な瓦葺き重層三門は、鶴岡八幡宮の表門を移築したもので、掲げられている 「天照山」(てんしょうざん)の額は後花園天皇の宸筆と伝えられています。 楼上に釈迦三尊座像他の仏像を祀っています。 |
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光明寺の開基は執権北条経時で、開山は法然上人の孫弟子・然阿良忠(記主禅師)です。 この寺の前身は蓮華寺で、1240(仁治元)年浄土宗の布教に努めていた良忠の為に、 経時が佐助ガ谷に建てた寺を、1243(寛元元)年 今の地に移して光明寺に改めたといわれています。 現在の本堂は1698(元禄11)年第51世白玄上人の代に建立されました。 十四間四面の大建築で、現存する木像の建築では鎌倉一の大堂です。 数度の改修で一部建立当初の形を変えていますが内部の円柱・格天井・ 欄間の透彫りなど建立当初の荘厳さを今に伝えています。 |