「鎌倉恋便り」



勝運祈願幟の 「 児 玉 神 社 」(第82回)



古都といわれる鎌倉・湘南地区でも、明治時代に建立された比較的新しい神社はいくつかあります。
中でも鎌倉市二階堂にある鎌倉宮(大塔宮)は有名ですが、江ノ島にひっそりと建つ児玉神社(こだまじんじゃ)もその数十年後に建った神社です。

児玉神社は明治時代、陸軍軍略の天才といわれた児玉源太郎大将の没後、親友の杉山茂丸氏が私邸内に社を建てて祭ったのが始まりです。その後、児玉大将が生前こよなく愛した風光の当地に遷座しました。


児玉源太郎  [陸軍大将]1852(嘉永5)〜 1906(明治39)

徳山藩士児玉半九郎忠碩の長男。戊辰戦争に藩の献功隊士として参加。
のち陸軍に入り、佐賀の乱・神風連の乱・西南戦争に従軍して頭角をあらわした。

1887 (M20)陸大校長としてドイツの軍制・戦術の移入紹介につとめる。
1891 ヨーロッパ視察。
1892 陸軍次官兼軍務局長、日清戦争で大本営参謀、功により男爵。
1896 中将に昇進し、長州軍閥の1人として重きをなした。
1898 台湾総督。1900第4次伊藤内閣・桂内閣で陸相、一時内相と文相を兼任。
2004 大将に累進して日露戦争に出征し、満州軍総参謀長、総司令官大山巌を補佐。
    難攻不落といわれた旅順を陥落させ、一躍勇名を馳せた。戦功により子爵。
2006 参謀総長に就任。 南満州鉄道株式会社創立委員長。没後、伯爵。



こうした経歴から祖国を守る軍神として、また知恵・勇気・勝利の守護神として尊崇されてきました。
なお、祭神の児玉大将にちなんで作られた「勝運だるま」は月桂冠をかぶった純白のダルマで勝利の運を授けるといわれ、勝運を祈願して立てられる「勝運祈願幟」とともに人気があります。

神社、拝殿正面の社号額には、後藤新平の揮亳。あ・うん一対の狛犬は、台湾の名工作で、口の中で玉が転がる珍しいもの。
境内参道には山形有朋歌碑、後藤新平らの詩碑が立ち、いずれも藤沢市藤沢市指定文化財です。

 




写   真       解    説      
参道下、案内板

江ノ島神社へ上がる階段左横、エスカー裏の山の階段の途中にあるトイレを過ぎると「児玉神社」の案内板が目に入ります。

児玉大将や日露戦争のことを知らない人は、この案内板を読んでから参拝するとよいでしょう。
神社本殿はここから左手に上り、山をぐるっと回った参道奥にあります。
児玉神社・社殿

社殿は児玉大将が9年間総督をつとめた台湾の檜を用い、寺社建築第一人者であった伊藤忠太工学博士が設計し、近代神社建築の規範とされています。

元旦祭は「勝運だるま」を求める参拝者で賑わいます。
7月24日の例大祭には、岩笛の演奏が奉納されます。



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