「鎌倉恋便り」



山中にその一部が残る 「 巨福呂坂切通し 」(第9回−2)


鎌倉にはいくつかの「切通し」(きりどおし)があります。
切通しとは、その字のごとく山を切崩して造られた人工的要路です。
そのうち「鎌倉七口」と言われた七つの切通しは、
外部から三方を山で囲まれた鎌倉への要路となっていました。

言いかえれば、七口の防御を固めておけば鎌倉攻めは困難だったわけです。
切通しは、鎌倉幕府の防護に大変重要な存在でした。




「巨福呂坂切通し」

(こぶくろざかきりどおし)七切通しの一つ。国史跡。

巨福呂坂切通しは、鎌倉街道下(中)ノ道の玄関にあたります。
亀谷坂切通しが険しかったため、山の内から直接八幡宮脇へ通じる大切な近道として1240年(仁治元)執権北条泰時がこれを造りました。
当初の道は1898年(明治31)新道を拓いた折りに半分は失ってしまい、坂を登ったところで住宅地として行き止まりになっています。

この切通しも新田義貞、鎌倉攻略では激戦地となりましたが、現在はその跡もほとんど残されておりません。

                 

 




写   真
解    説
山中にその一部を残す巨福呂坂


旧道は「八幡宮裏」のバス停の脇の道を円応寺へと通じていました。
切通しだった辺りには民家が建ち並び私有地になっているため、 通り抜けはできません。朽ちかけた道祖神や庚申塚に当時を偲ぶのみです。

ここも新田義貞が鎌倉攻めの時に選んだひとつのルートです。



 「鎌倉恋便り」取材リスト   「鎌倉恋便り」探訪マップ 

「鎌倉恋便り」メニュー