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「假粧坂切通し」(けわいざかきりどおし)七切通しの一つ。国史跡。 現在は扇ガ谷から源氏山公園にむけて屈曲した坂道が残っています。 『吾妻鏡』に小町屋、売買所の一つとして「気和飛坂」があげられ鎌倉時代は、商取引の盛んな場所だったことがわかります。 また、『曽我物語』では、曽我五郎時致(ごろうときむね)や梶原景季(かげすえ)が、ここの遊女に通ったとあるところから 赤線区域があったと思われるほど賑やかだったらしいことも推測できます。 この切通しの歴史は古く、極楽時坂切通しができる以前から鎌倉と京都、西国、武蔵などを結ぶ重要な道でした。 源頼朝も政子も静御前も、そして名のある武将達もみなこの假粧坂を越えて鎌倉入りしたことは間違いないと考えられます。 鎌倉市中と直結する重要切通しなので、鎌倉防護の要衝でした。 1333年(元弘3)5月の新田義貞、鎌倉攻略では新田軍の主力が投入され、総大将の義貞自身が指揮をとってここを攻めましたが18日から21日まで防衛は堅く、とうとう假粧坂からは攻め入ることができませんでした。 源氏山公園・葛原ガ岡公園・銭洗弁天・佐助稲荷などを目的地としながら是非訪れてみて下さい。その深い木々に囲まれたジグザグの坂を見れば、ここから攻め崩すのが困難だった理由が理解できるかもしれません。 |
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鎌倉駅西口から佐助稲荷、銭洗弁天などを経て 源氏山公園へ向かう途中にある假粧坂切通しへの入り口です。 こちらが切通しの山の上側になります。 假粧坂切通しは、亀谷坂切通しと共に今も散策コースとして、抜け道として 親しまれています。 |
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現在は、坂の下まで住宅が建ってしまい急坂の一部しか残されていません。 しかし、木々に囲まれたジグザグの假粧坂は往時の面影をよく残しています。 岩肌を見せた坂道はかなりでこぼこしたところもあって 多少歩きにくいですが、短い距離なので気軽に歩いて楽しめる切通しです。 名前の由来は、討ち取った首にここで化粧をして首実験したからとか、 「険しい坂」から転化したとか、遊女が多い場所だったとか諸説ありますが はっきりとはしていません。 |
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ご覧のように現在は扇ガ谷の坂の下まで住宅が建ってしまっています。 海蔵寺から住宅地の道を戻っていくと、途中右手に化粧坂への道標があります。 それに従って右折してしばらく行くと、うっそうとした樹々の下へ 急な坂道がのびています。 それがこの写真、扇ガ谷側からの假粧坂切通し入口です。 |