「鎌倉恋便り」



無住時代が続いた寺 「 啓 運 寺 」(第111回)



大町四つ角を三浦道踏切を越えて、海方向に行くと水道路という交差点があり、そこをさらに直進して少し行くとやがて「南無妙法蓮華経」とかかれた石碑があります。
そこが日蓮宗松光山(しょうこうざん)啓運寺(けいうんじ)です。

材木座にあるこじんまりとした日蓮宗寺院。
開山は学僧であった日澄(にっちょう)。日澄は大町の妙法寺の住職でしたが、1483(文明15)年に当寺を創建して移ったとされる。日澄の死後は明治末まで長勝寺が住持を兼任し、無住の寺となっていました。

「新編鎌倉誌」では長勝寺の住職の「大町の妙法寺はかつて啓運寺という名前で、この啓運寺が妙法寺と呼ばれていた。いつの頃か名前を取り替えたのだ」という話を載せていますが、本当の話かどうかは定かでありません。

学僧として知られた啓運日澄上人は、1503(文亀3)年、五十五巻から成る『啓運抄』という法華経の研究書を出しており、啓運寺の寺名はそこからとられたと言われています。

 




写   真       解    説      
啓運寺本堂

現在の本堂は1933(昭和8)年に再建されたものです。

寺には江戸期に作られた日蓮上人像があり、本尊三宝祖師像も新しい。
また、かつては境内にあり、海難を防ぐということから漁師の信仰を集めた「船守稲荷」も本堂に祀られています。

明治時代には、日本近代洋画を確立した画家の黒田清輝が本堂をアトリエに使ったこともあるといいます。黒田は辻説法のシーンなどを描いています。
境内隅にある石塔群

墓地には鎌倉時代に作られたとされる石塔が多数あります。

寺は長く無住ということもあって、明治時代に入り学制が敷かれると、小学校の校舎として明治の中頃まで利用されていました。



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