「鎌倉恋便り」



大船の町を優しく見下ろす 「 大 船 観 音 」  (第48回)

大船観音の完成に力を注いだ 「 黙 仙 寺 」



JR大船駅西口から柏尾川をわたり、裏路地から小高い山頂への坂道を上ると大船観音(おおふなかんのん)があります。
この観音像は、観音思想の普及から世相の浄化をしようと、元首相・清浦奎吾(けいご)や金子堅太郎 らが建立を計画し、彫刻家・山崎朝雲の指導のもとに開始され 困難の末、1960(昭和35)年にやっと完成したものです。

工事は1929(昭和4)年に着手されましたが、昭和9年原型が大体できたところで相次ぐ発起人の死去や 資金難、戦争の勃発、敗戦の混乱などで作業は中断されてしまいました。
その後昭和29年、静岡県の可睡斎の曹洞宗管長・高階瓏仙を設立代表者として、政治家・安藤正純 や五島慶太らの協力を得て大船観音協会が設立され、寄附浄財の募集を始めました。
昭和32年、画家・和田三造、建築家・板倉準三、東京芸大教授・吉田五十八らが中心となって 彫刻家・山本豊市の設計により修仏工事が開始されて完成したものです。

この観音像は、高さ約25m・幅約19m・重さ1915tの胸像で、頭上に化仏をのせ、胸には瓔珞をつけ その慈悲深い温顔は、電車等の車窓からも眺められ親しまれています。


大船観音への参道の北隣には、山続きである黙仙寺(もくせんじ)へ上る参道階段があります。
前述しましたように、本寺院の二世住持・高階瓏仙(たかしなろうせん)は 大船観音の完成に中心的な役割を果たしました。

 




写   真       解    説      
無我相山に立つ観音像

観音のある無我相山(むがぞうざん)は観音山とも呼ばれています。

急な観音参道を登ると正面の石段の上に観音像があります。 高さ25mの胸像は石段を上がるにつれ、迫力をもって目前に迫ってきます。

写真を見れば階段を上る男性と比べ、その巨大さを感じることができるでしょう。
観音胸像

「大船観音」は正式名称も単純に大船観音で、宗教法人大船観音寺が管理しています。

観音は観世音の略称で聖観音(しょうかんのん)を指しています。

また、観音信仰の、危難に際して救いの手を差し伸べてくれる。 という現世利益的信仰はすでにインドに始まっており、「法華経」中の 観世音菩薩普門品に同様の思想が見られます。

日本では740年の藤原広嗣の乱の時、国ごとに七尺観音像をつくり反乱鎮圧を祈ったとされ、 9世紀はじめの日本霊異記には観音を念じて災いを逃れた話が多数載っています。
観音胎内部

観音像の背中側からは胎内に入れます。

内部には沢山の卒塔婆に囲まれた 約1/30 の観音原型像や平安時代の十一面観音が祀られており、寺の本堂を想像させる雰囲気があります。

また、境内には慈光堂・照心閣があり、被爆25周年に恒久平和を祈願して建てられた原爆慰霊碑もあります。
黙仙寺 石段

大船観音の山続きに黙仙寺があります。

山号を無我相山といい、1911(明治44)年に静岡県の祐昌寺を永平寺66世貫主・日置黙仙 が浜地八郎とともに移して黙仙寺と改めたものです。

本尊に金剛尊天を祀り、金剛経を広める道場となっています。
黙仙寺二世住持・高階瓏仙は、大船観音の完成に中心的な役割を果たしました。



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