「鎌倉恋便り」



江戸時代の栄華はいずこ 「 宝 善 院 」(第119回)



もとは泰澄山瑠璃光寺(たいちょうざんるりこうじ)ともいったと伝わる宝善院(ほうぜんいん)です。 開山とされる泰澄上人は越後国(新潟)越知山の僧で、越の大徳と呼ばれていました。
(福井・富山・新潟三県では並ぶ者がない徳の高い僧)

泰澄が信仰していた十一面観音をこの地に祀ったのが寺の起こりとされていますが、詳しいことは不明なようです。境内には本堂のほか、大師堂があります。
戦前までは1776(安永5)年の銘のある珍しい銅鐘がありましたが、太平洋戦争で供出されてしまいました。
明治の神仏分離令までは、村人の信仰を集めたいへん栄えていました。

創建は765〜767(天平神護年間)年と伝わり、二階堂にある杉本寺と並ぶ古さの歴史あるお寺です。

 




写   真       解    説      
三   門

江ノ電の腰越駅で下車し、腰越中学校の奥へ歩いて行くと三門が見えます。
三門の形式は薬医門というそうです。

以前は4月の青蓮寺(鎖大師)法要のとき、片瀬や腰越の信者たちはこの寺の前を通るのが本道だとして、わざわざ遠回りしてでも詠歌を口ずさみながら歩いたようです。
境内・本堂

江戸時代には、宝善院の僧が龍口明神社の別当に任じられ、それ以来、村の御嶽大権現社、春日社、第六天社、観音堂など多くの神社や寺の仕事を引き受け宝善院は地元の信仰を集めて栄えていました。

しかし、明治時代の神仏分離令によりひそやかな寺に戻ったそうです。



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