「鎌倉恋便り」



京都から移した"竹の寺" 「 報 国 寺 」(第36回−1)



杉本寺から金沢街道を滑川に沿って東北に向かって少し行き、バス停手前で右側にある「華の橋」を渡り、ゆるやかな坂を登ったところに「報国寺」(ほうこくじ)があります。
山号は巧臣山、開山は天岸慧広(てんがんえこう)で、1334(建武元)年開創といわれています。

開基は足利尊氏の祖父家時といわれていましたが、宅間上杉氏の祖である重兼という説もあり、家時の建てた寺を重兼が報国寺にしたのではないか?ともいわれているようです。
いずれにしても、以後足利家並びに上杉家の菩提寺となって、境域も広く五山・十刹に次ぐ諸山に長寿寺などと共に数えられ、官寺としての寺格を与えられています。鎌倉三十三観音霊場第十番札所でもあります。

開山の慧広の死後、門弟達が境内に休耕庵という開山塔を祀る塔頭をたてています。永享の乱(1438〜39)で将軍足利義教に敵対した鎌倉公方足利持氏とその子義久は敗れて、義久は報国寺入り、その後自殺させられています。境内には義久の墓や当時の戦死者を弔う石塔などが点在し、当時の寺の歴史を物語っています。

近年では鎌倉で生活した川端康成、林房雄ら文人が寺周辺の風情を好んでよく訪れたと聞きます。特に川端康成は山あいのしじまの音なき音を”山の音”と表現して小説にも書いています。彼らの愛した風情をより身近に感じたいのであれば、日曜日に開かれている「座禅会」に参加してはいかがでしょうか。 朝の7時30分から約2時間半にわたって行われています。

京都から移したといわれる愛称”竹の寺”ゆかりの竹林庭は、本堂裏手にあります。静寂の中に身を置いて孤独を堪能してみて下さい。

                 

 




写   真       解    説      
本堂前の石庭

参道から本堂へ向かう参道沿いに小さいながらも禅寺らしい石庭があります。 小規模でも石灯籠や岩を配置し、白砂には波紋が描かれています。

参道を挟んでツツジの植え込み、その奥に新しい本堂と迦葉堂(かしょうどう) があり、梅や水仙が植え込まれた参道を進むと拝観受付、その奥が見事な 猛宗竹の林となります。
静寂につつまれた竹の庭

石仏や石塔が配された小道が巡らされており、竹の子が顔を出す春、葉音が涼しげな夏、 竹の緑が美しく映える秋、雪景色の冬とそれぞれの風情を楽しめます。

竹林の奥には緋毛氈を敷いた茶屋があり、ここからの庭の眺めはまた格別な趣向です。
薄暗い林の中で竹の根元にあたる日の光を見ると、「竹取物語」のかぐや姫伝説 を彷彿させられるのは小生だけでしょうか。
巨大なやぐら群

竹の庭の奥に大型のやぐら群があります。

開基と伝えられる足利家時や永享の乱(1438〜39)で果てた義久の墓所といわれています。

竹刀がふれあうようなカタカタという竹のふれあう音を背にしながらやぐらを見上げると、 川端康成の「山の音」という死の幻の音を思い出させてくれます。



 「鎌倉恋便り」取材リスト   「鎌倉恋便り」探訪マップ 

「鎌倉恋便り」メニュー