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建長寺の後ろの山を勝上嶽といい方丈の横の道を進み、約250段の石段を登りつめると半僧坊(はんそうぼう)があります。 半僧坊は、1384(至徳元)年静岡県の方廣寺(奥山半僧坊)開山の無文に弟子入りし、忽然と姿を消したという高い鼻に乱髪、白衣、赤い顔の半僧坊に由来します。 1890(明治23)年建長寺中興の僧といわれる霄貫道(おおぞらかんどう)が、ある夜お坊さんのような、また俗人とも見える白髪の老人と山中で出会い、その翁が「私を関東のいずれか清浄な処に招いてくださるなら、その処いよいよ栄え、ありがたいことが絶える事がない。」と告げ、フッと姿を消してしまった霊夢を見られました。 このお姿こそ半僧坊の眞姿で、貫道は自ら奥山の方廣寺にお出向きになり、方廣寺より勧請し建長寺の鎮守としたものです。 特に火災除け、福寿増長に御利益があるといわれ、毎月17日の縁日は多くの参拝人で賑わいます。 半僧坊に至る参道には、かつては沢山の茶屋が軒を連ねていたそうですが、現在残っているのは桜並木の少し手前にある招寿軒のみです。 ここはかつて葛西善蔵が境内の塔頭・宝珠院で執筆生活をしていたころ、何かと世話をしていた茶屋。茶屋の娘とのロマンスを葛西は『おせい』という小説に描いています。 また、半僧坊をさらに登ると勝上嶽の頂上で、ここから「鎌倉アルプス」と呼ばれる山々の尾根が続く天園ハイキングコースへと続きます。 葛西善蔵: 1887〜1928年 大正の私小説作家。代表作「子をつれて」「不能者」。 宝珠院から徒歩2分のところに墓があります。 墓の地図はこちら→ 「建長寺周辺図」と略歴 |
| 写 真 | 解 説 |
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半僧坊は建長寺境内の最奥にあるため、方丈の左手に続く道をずっと奥まで進まなくてはいけません。 桜並木を抜けて石段を登った勝上嶽といわれる山に建っています。 足の不自由な方が訪れるには、ちょっとキツイ場所かもしれません。 |
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さらに…半僧坊へ行くには、250段近い階段を上らなければなりません。途中に10数体の烏と天狗の像が点在します。写真の風景では、崖を背にして大小様々な烏天狗の銅像が下界を見下ろし、異様な雰囲気に訪れる人をギョっとさせます。 烏天狗像は、半僧坊の姿を写したもの。この中にも4体以上の烏天狗が写っていますが、おわかりになりますでしょうか… |
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半僧坊大権現の御利益は火防、病気平癒、大漁、厄除けなど盛りだくさんで、当初は折からの日清戦争勝利の好景気に沢山の信者が参拝にやってきたそうです。 玉垣や石碑には、東京築地の魚河岸の連や品川の遊郭、建設会社など様々な寄進者の名が彫られ、往時の賑わいを彷彿させます。 堂の片隅には黒光りするまで参拝者になでられた「おびんづる様」もあります。 また、社殿の前からは鎌倉や相模湾が見下ろせる最高の景色を堪能できます。 |