「鎌倉恋便り」



海の神様を祀る 「 江島神社・邊津宮 」(第63回)



はじめに・・・

江の島のシンボルで古くから海で働く人々の信仰を集めてきた江島神社。
創建は552年で、島の南側の洞窟に3体の女神像を祀ったのが始まりとされています。
その後1182(養和2)年、源頼朝が文覚上人に社殿を造営させ、弁財天を祀って
現在は邊津宮、中津宮、奥津宮の3社からなる立派な神社となっています。
中でも邊津宮にある裸弁財天八臂弁財天は全国的に知られており、
古くから歌舞伎役者や音楽関係者に芸能の神様として信仰されています。


江島神社」(えのしまじんじゃ)の歴史

縁起では、昔々腰越のあたりに大きな湖があり、そこには、五つの頭 を持った暴れ者の龍が住んでいて村人を苦しめたそうです。村人はこの龍を鎮めようとしましたが、龍の乱暴はますますひどくなりました。552(欽明13)年、激しい天地振動が突然に起こり、天の暗雲の中から美しい天女が海中からは島が出現しました。龍は天女の美しさに一目惚れし結婚を申し込みました。 天女は今後人々を助ける龍になるならば結婚を承諾すると条件を出し、龍が改心したため二人は結ばれ長くこの地を守ったといいます。
これが弁財天として江ノ島明神になったといわれています。

その後1182(養和2)年、源頼朝が文覚上人を招き戦勝を祈願して社殿を造営。弁財天を勧請しました。
江ノ島明神は神仏混淆で真言宗の金亀山与願寺とも呼ばれ、その別当は鶴岡八幡宮が兼務しましたが、のちに岩本院(岩本坊、中之坊)が岩本本宮、上之坊が上之宮(現中津宮)、下之坊が下之宮(現邊津宮)を管轄して三宮がそれぞれ弁財天を本尊としました。

近世では徳川幕府が本山末寺制度をしいて寺社を統制した為、三宮の別当寺である岩本院・上之坊・下之坊の間で本山の地位をめぐる紛争が17世紀を通じて繰り返されましたが、最終的に岩本院がその地位を確立しました。
この本末紛争の背景には江戸庶民などが盛んに江の島参詣するようになり、その観光収入が大きな要因となっていたようです。

明治にはいると神仏分離で宗像三女神を祀る邊津宮中津宮奥津宮岩屋からなる江島神社にあらためられ、以後今日まで観光地として発展してきました。


邊 津 宮

江の島大橋を渡り、正面にある青銅製の鳥居をくぐって土産物屋などが並ぶ狭い参道を登ると突き当たりに朱塗りの大鳥居と瑞心門が建っています。その下をくぐり抜けて石段を上がっていくとほどなくして邊津宮(へつのみや)の社殿があります。
神社の創建は古く、欽明天皇の時代(6世紀)にまでさかのぼります。江の島の南端にある岩屋に海の守り神とされる田寸津比売命(たきつひめのみこと)・市寸島比売命(いちきしまひめのみこと)・多紀理比売命(たきりひめのみこと)の3女神を祀ったのが始まりと伝えられています。

853(仁寿3)年
慈覚大師が中津宮を創建
1182(寿永元)年4月5日
源頼朝が奥州遠征にあたり鎌倉武士47人と共に文覚上人を招いて岩屋に参籠(吾妻鏡)
1206(建永元)年
源頼朝によって江島神社下之宮(現邊津宮)が創建される


江戸時代には徳川家康も参拝し、幕府の信仰も最高潮に達しました。

邊津宮にある奉安殿には、江島神社の本尊である裸弁財天が祀られています。この裸弁財天は古くから芸事を司る神様として信仰されていて、近江(滋賀県)の竹生島、安芸(広島県)の厳島の弁天様とともに日本三大弁財天”のひとつとされています。
また、7月に祭礼が行われる八坂神社、1204(元久元)年・宋に渡った実朝の使節、良真が慶仁禅師より授けられたといわれている宋国伝来の古碑なども隣接しています。

 




写   真       解    説      
瑞 心 門

朱塗りの大鳥居をくぐると瑞心門が建っています。
瑞心門は龍宮城を模して造営された(昭和61年12月7日)楼門で、その両袖には青と青緑の色鮮やかな色彩にて唐獅子画や牡丹の天井画が描かれています。清々しい心で参拝していただけるようにと命名されました。

ここの階段上ると邊津宮へ行けますが、門前左手にあるエスカー(有料)を使って楽に邊津宮・中津宮と上ることも可能です。
でも、史跡や風景を楽しみながら散策することを考えると、出来るだけ階段で参拝することをお薦めしたいですね。
邊津宮 社殿

江島神社の本社に当たるこの社は、1206(建永元)年、源実朝が田寸津比売命(たぎつひめのみこと)を勧進して建てたもので、通称”下ノ宮(しものみや)”と呼ばれています。

現在の社殿は、1675(延宝3)年に再建されたものです。
奉 安 殿

弁天堂である奉安殿は、妙音弁財天御尊像・八臂弁財天御尊像を奉祀する為に造営された八角のお堂です。
中には琵琶を抱えた裸弁財天と弓や刀を持った八臂弁財天が奉安されています。
弁財天は、鎌倉時代には戦勝祈願の神様でしたが、江戸時代には芸能、音楽上達祈願の神様として信仰され、現在に至っています。

妙音弁財天は俗に裸弁財天とも言われ、琵琶を抱えた官能的な全裸体の御座像で、この御尊像は女性の象徴を細部まで備えられた大変珍しいお姿で、鎌倉中期の傑作とされています。
八臂弁財天は、八本の手があり、それぞれに異なった「物」を持っています。像の右手には「刀」、左手には「宝珠」、うしろに六本の手があり、それぞれに「弓」「矢」「独鈷」「鍵」「車輪」「戟」を持つ姿です。手が八本あることから八臂(はっぴ)弁財天といわれ、重要文化財に指定されています。八臂弁財天は源頼朝が寄贈したと伝わっています。
八坂神社

健速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)が祭神。
昔は江の島の対岸となる腰越に祀られていましたが、ある時大波にさらわれ江の島の岩屋前に沈んでいたのを漁師が拾い上げて祀ったといわれています。

7月中旬に行われる祭礼「天王祭」は神輿(みこし)が海上渡御をする奇祭として知られ、囃しが島内を練り歩いた後、裸の若者が神輿をかついで海中へ入ります。禊(みそぎ)をしてから対岸の腰越までお囃しの先導で渡御します。   「かながわの祭り50選」のひとつです。



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