「鎌倉恋便り」



鎌倉唯一の尼寺 「 英 勝 寺 」(第124回)



横須賀線に乗っていると、北鎌倉から鎌倉へ向かって、右手の車窓に東光山英勝寺(えいしょうじ)が見えます。現存する鎌倉唯一の尼寺ですが、長らく境内は閉ざされ平成7年から一般公開が許されました。今でも正面は閉ざされ、庫裏のある通用門から中に入るようになっています。(総門開門は英勝院命日のみ)

浄土宗のこの寺は、かって水戸徳川家につながる尼寺で、太田道灌の居館の地であったといわれています。
家康に寵愛されたお勝の方は、太田道灌の曾孫・康資の娘です。幼名をお梶といい、やがて家康の側室の一人になります。家康の死後、お勝の方は出家し英勝院と号しました。三代将軍・家光から先祖である道灌の屋敷跡を寺地として賜り、1634(寛永11)年菩提寺としたのが始まりです。
1636(寛永13)年、寺が完成すると英勝寺と名付け、徳川頼房の娘・小良姫を玉峰清因と号し、開山としました。現存する仏殿、祠堂、唐門、鐘楼は、英勝院が亡くなったあと、水戸徳川家(光圀)が造営したもので、完成の折りには光圀も来訪しています。(全て神奈川県重要文化財)
当時は水戸御殿と呼ばれたほど格式の高い寺で、三葉葵の紋を掲げた総門の両脇には黄土色の築地塀が続きます。

関東大震災によって庫裡、蔵などは倒壊しましたが、現存する仏殿、鐘楼、祀堂などは江戸初期の建築で創建当時のまま現在に至っています。

                 

 




写   真       解    説      
仏   殿

仏殿は、棟札によれば、1636(寛永13)年に英勝院が建立していますが、現在、仏殿の梁牌には寛永二十年に徳川頼房が建立したという銘があります。
これは最初英勝院が建立した仏殿を徳川頼房が現在見られるような立派な仏殿に改築したものと思われます。

仏殿内部には徳川家光寄進の阿弥陀如来と、向かって右の観音菩薩と左の勢至菩薩を本尊(弥陀三尊像)として祀っています。広いとは言えない9メートル(5間)四方の銅ぶき木造で、堂内は珍しい石畳。また、壁や天井には極楽を思わせる華麗な装飾が見られ、今なお色鮮やかな鳳凰や天女が舞います。
水戸徳川家の三つ葉葵(あおい)や太田家の桔梗(ききょう)の紋とか鳳凰(ほうおう)の絵などは、格式の高い尼寺の姿を伝えています。
唐   門

仏殿に向かい左側にある唐門は、祠堂と共に建てられたと見られ、小さいながら細工は精巧で、欄間のぼたんの彫り物などは、高度な技術を示しています。
唐門の透かし彫り

両面透かし彫りの牡丹の花があしらわれ、江戸時代初期の高度な技術を見ることができます。
鐘楼と梵鐘

鐘楼は袴腰付楼閣形式で1643(寛永20)年の建立。この形式は寺格の高い寺にしか見られない珍しい様式です。

梵鐘には林道春撰の銘文が刻まれ、その末尾に「寛永二十年五月吉日 法印道春撰 治工大河四郎左衛門吉忠」と記されています。



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