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この場所は1333(元弘3)年の新田義貞の鎌倉攻めのとき、北条方の本間山城右衛門らの襲撃にあって討死にした義貞の武将大館宗氏ら11名の霊を弔った十一面観音堂があった場所ですが、戦死した数にちなんで十一人塚(じゅういちにんづか)と呼ばれてきました。 この付近は七里ガ浜から鎌倉へ通じる道の入口にあたり、鎌倉防衛の要所でありました。 |
| 写 真 | 解 説 |
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大将大館宗氏は、前浜(現在の由比ガ浜・坂の下の海岸あたり)に攻入り、 幕府側の本間山城右衛門らの反撃にあって討死にしました。 宗氏主従11名の霊を弔う十一面観音堂があった場所、と伝えられていますが 証拠はないようです。 「新編鎌倉志」「新編相模国風土記稿」共に新田義貞の勇士11名と記すのみです。 現在、宗氏の子孫と称する人が建てた石碑が2基あります。 |