木賊刈り

 ここは、信濃国(シナノノクニ)の中山道沿い、小県郡(チイサガタゴオリ)小諸村(コモロムラ)。 この辺りには、木賊(トクサ)という土筆(ツクシ)や杉菜(スギナ)に似た植物で、その茎の表皮に 硝子質の微細な突起があるところから工芸品の表面研磨に用いられる植物がある。ここに木賊刈りを生 業とする一人の初老の男が住んでいた。この物語の起こりは、二十年ほど前に遡るある日の夕暮のこと、 まだ一人歩きもできぬ幼子若松(ワカマツ)を、薄暗闇の中で何者かに拐(かどわ)かされたことにあ った。母親は気のふれたように必死に探し回るが果せず、心労からか病に伏せ、そのまま帰らぬ人とな った。一人残された男は、中仙道を往来する子供連れの旅人を見かける度に我が子ではないかと声をか け、この地を訪れる木賊の商人にも問うてはみるのだが、その行方は杳(ヨウ)として判らない。 いく度か、ゆきすぎて行った満月は、年を重ねようとも同じ姿をみせている。もし若松が生きていれ ば、どこかでこの月が若松を見ていることであろうと、そして必ず廻り合うこともできようかと、望み を胸にして、天上高く輝く月に手を合わせ、気をとり直して仕事に精を出すという繰り返しで、二十年 が過ぎ去ったのである。そんなある日、男は夢見に吉兆を告げられ、その日は朝から何事かと心待ちに していた。そしてその日の夕暮れ時、年の頃なら二十を超えた辺りであろうか、若い僧が佇み、道に迷 ったのか行きあぐねているところに出会ったのである。男はこの姿に哀れを覚えて家に連れ帰り、粗末 ながら夜の食事を与えると、心を打ちとけた若い僧は、問われるままにぽつりぽつりと生い立ちを語り 始めたのである。だが、父母のことになると、ふっと口をつぐんで悲しそうな顔をみせる。男は夢見を 思い出し胸騒ぎがした。この若い僧こそ我が子若松ではないかと、思わず僧の腕を取り、その袖をたく しあげた。「もしや腕の内側に小痣が……」男は恐る恐る問いかける。驚いて男の前に突きだした腕に は、確かに我が子若松を証す胡桃大の赤い痣があった。男は突然の我が子との再会に打ちふるえ、「若 松……」と、声を詰らせてその名を叫ぶが、溢れ出た涙で言葉にはならず、ただ嗚咽となって喉を突く ばかりであった。この鍔は、月をながめ我が子のことを思う男の描写がなされている。