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蔦屋重三郎の父丸山重助は、吉原揚げ屋町尾張屋の雇い人で、同じ町内の先隣に住む蔦屋の娘津与と恋仲になり、津与は身篭っていたが子供が生まれると引き離されて他家へ嫁がされ、生まれた子供は蔦屋の当主、喜多川甚三郎の養子として育てられました。「つまり重三郎は母方祖父の養子となった訳です。」 新吉原の引き手茶屋、蔦屋の養子として育った重三郎は安永元年・(1772年)23才の時、吉原大門口の50間道左側に書肆を開き、天明三年の新春、通油町の旧「丸屋小兵衛」の店を買収し夏にはこの場所にて開店し、「この通油町は当時、鶴屋・村田屋などの一流版元が店を出していた町でもありました。」 このような中、重三郎の手腕もあり、版元としての書肆蔦屋は隆々の発展を遂げ、蔦屋と交流のあった文人墨客は以下の通りです。 また蔦屋には、寛政三〜四年、山東京伝の紹介で滝沢馬琴を店に寄宿させたと言われており、寛政六年には馬琴と入れ替わるように十辺舎一九が寄宿をしています。 戯作者小伝「石塚豊芥子」によると、唐丸「重三郎」は頗る侠気あり、故に文才あるものの若気にて、放蕩なるをも荷担してまた食客として、財の散ずるを厭はざれば、是がために身をたて名をなせし人々あり、蜀山老翁、歌麿、馬琴抔、其の中也、又、己が名あらわれたるも、其の人によりてなりぞ、寛政九年六月三日「享年・四十八歳」にて没すとあります。 |