『浪華悲歌』――クールな筆致で現代社会を活写し日本映画にリアリズムを確立。     
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なにわエレジー/モノクロ71分/製作:第一映画 昭和十一年(1936)/原作:溝口健二/監督:溝口健二/脚本:依田義賢/撮影:三木稔/出演:村井アヤ子=山田五十鈴、社長(麻居惣之助)=志賀廼家弁慶、社長の妻(すみ子)=梅村蓉子、アヤ子の父(準造)=竹川誠一、アヤ子の妹(幸子)=大倉千代子、アヤ子の兄(弘)=浅香新八郎、アヤ子の恋人(西村進)=原健作、株屋(藤野喜蔵)=新藤英太郎、医者(横尾)=田村邦男、刑事(峰岸五郎)=志村喬、アパートの管理人(福田みね)=滝沢静子ほか
粗筋
 山田五十鈴の演ずる主人公アヤ子は、会社の金を横領した父親を助けるために、自分の勤める会社の社長の愛人になる。しかも、しばらくして社長と切れてから、さらに金が必要になると(兄の学資)社長の友人の株屋に身を任せるふりをして金だけだまし取り、彼が怒ると以前の恋人を用心棒に仕立てて美人局[つつもたせ]を演じる。そして当然の如く、刑事が現れて逮捕される。そんな彼女に対して、家族の目は冷たい。

解説
 この作品のヒロインは女学校出(当時では高学歴)で、戦前の女性の花形職業だった電話交換手をしている。愛人宅となっている鉄筋コンクリート製のアパート(今で言うマンション)や以前の恋人と会うデパートも昭和十年代のものとは信じがたい。
 しかし、それ以上に現代的なのは、作品に描かれている家庭の情景である。主人公は、会社の人間から逃げ回っているくせに娘たちには空威張りする父親を罵倒する。終始とげとげしい会話が交わされ、そこに家庭の暖かさは無い。非常に乾いた描写で戦前の家庭とは思えないくらいである。最後、ヒロインと家族のシーンは、人にとって家庭が最も過酷な砂漠にもなりうる事実を厳然と示していて、現代人は誰でも恐怖を感じることであろう。
 だが、『浪華悲歌』は関西弁を初めて本格的に再現した作品でもあり、それによって社長とその妻、ヒロインと社長のやりとり等はユーモラスな雰囲気が生まれ、この作品に笑いを与えて暗い雰囲気に終始することから救っている。
 そして、ヒロインが毅然として夜の街を歩むラストシーンは、洋画のベストワンとも言われる『第三の男』(1949)を思わせる。これまでの邦画に無かった女性像を演じた山田五十鈴には、高貴なまでの美しさがあった。

 これは溝口健二のトーキー4作目(パート・トーキーの『ふるさと』を含めると5作目)で、日本映画界にリアリズムを確立したと評価され、それまで明治物のパターンにハマっていた溝口健二はこの作品でスランプを脱した。
 名脚本家の依田義賢と初めて組んだ作品でもある。当時、依田は病身でなかなか芽が出なかったが、京都育ちの彼の関西弁に興味を惹かれた溝口健二が起用した。溝口は「君、人間を書かなくてはだめですよ。人間の体臭が匂うように書かなければだめですよ」「かんけつ(奸譎あるいは姦譎。正しくはカンキツと読む)だよ。かんけつな人間を描いてもらいたいんだよ。みんなえげつない奴ばっかりだよ、この世の中は」と要求し、激しいしごきの末、十数稿を重ねたという。

 作中の父親は、溝口健二の実の父の姿を描いたと言われている。のちに助監督や脚本家として溝口についた成沢昌茂はこう語っている。「あの『浪華悲歌』に出てくるお父さんですね(中略)借金取りがきますね。するともうペコペコ、ペコペコしてて、しかし陰ではなんだ、あの安月給のやつがって、ああいう感じの人だったらしいんですよ。非常にその、親子の間が悪かったらしいんです」(『ある映画監督の生涯』より)
 主役を演じた山田五十鈴(1917-)もまた、この作品で“演技開眼”したと言われている。清元の師匠の家に生まれた山田は昭和五年(1930)に映画界入りし、その美貌と演技力でたちまちスターになった。溝口作品にも昭和九年(1934)の『愛憎峠』(亡失)以来、数作に出演していた。
 そんな中、彼女は周囲の反対を押し切って十代で結婚して子を産む(故・嵯峨三智子)。当時、女優が結婚するのは即人気に関わる致命傷であった。しかし、溝口健二は彼女を『浪華悲歌』の主役に起用する。溝口は山田の生い立ちや家庭環境を調べ、彼女を起用することを前提として脚本を書いたという(『別冊太陽 映画監督溝口健二』より)。演技指導は苛烈を極め、ラストシーンで溝口のダメが出て三日間撮影が止まることがあった。

 厳しい溝口の演出に耐えた山田五十鈴は依田義賢の脚本に描かれた“新しい女”を演じきり、六十余年経っても色あせない生命をこの作品に与えたのであった。


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