
溝口健二は昭和三十一年八月二十四日に京都で没した。墓は東京の池上本門寺に作られ、分骨されて京都の満願寺にも記念碑が作られた。ここでは池上本門寺の墓所を紹介する。
日蓮宗大本山池上本門寺は東京都大田区池上に位置する。日蓮聖人入滅の地と言われ、多くの歴史上の人物・文化人・芸能人の墓がある寺としても有名である(公式サイト:http://www.honmonji.or.jp/)。
写真は最初の入口である総門。以下、写真クリックで拡大。
総門から石段を登ってしばらく歩いたところにある三門。左右に二体の巨大な仁王像がある(クリックで表示)。
日蓮聖人の像(祖師像)・第二世日朗聖人・第三世日輪聖人像を安置している大堂。祖師堂とも呼ばれる。
道路を一本越えたところにある寺務所。私が行った時は、“本院総受付”で案内を乞うと、溝口健二を含めた有名人の墓の位置が記されている墓地全体の案内図のコピーを貰えた。
池上本門寺の場所や行き方は上掲公式サイト内の「アクセス」、寺務所などの正確な位置は「境内案内」を参照。
実は、溝口健二の墓は本門寺に付属する「大坊本行寺」の中にある(MapFanWeb)。ここは日蓮聖人が入滅した場所だという(公式サイト:http://www.hongyozi.or.jp/)。
溝口健二の墓は、本行寺の門を入ってすぐ右、塀の中の墓域にある。奇を衒[てら]わないオーソドックスな墓石である。
墓石の隣には“南無妙法蓮華経”のお題目を刻んだ供養塔が建てられている。
墓域の脇には「溝口健二記念碑」がある(上掲供養塔の右手前側)。表面には歌人・吉井勇(1986-1965)が作った「悼歌」が刻まれている。
藝[芸]の道映畫[画]の道が吉井勇は生前の溝口と親しく、溝口の没後に十首以上の歌を作って死を悼んだ。『定本 吉井勇全集』第八巻(番町書房 昭和五十三年)に「溝口健二のこと」と題する随筆と共に上掲の歌を含めた7首を収め、『定本 吉井勇全集』第三巻(番町書房 昭和五十三年)には「溝口健二君を悼む」と題して5首の歌を収めている。
端的に黄泉につづくと
思ひがけきや
記念碑の裏側。左上は『キネマ旬報』ベストテン入選作品の記録。右下は国際・国内映画賞の入賞および叙勲の記録。
左下の銘によると、昭和三十二年八月に子弟および遺族によって建立されたらしい(記念碑の下端部分が敷石で隠れてしまっている)。
戦前の大傑作『残菊物語』(1939)と戦中の『名刀美女丸』(1945)に主演した新派の名優・花柳章太郎一家の墓が溝口健二の墓の隣にある。二人は撮影現場を離れても親しい友人だった。
中央の墓石が花柳章太郎(1894-1965)と妻の墓。向かって左が章太郎の長男で戦後の『山椒大夫』(1954)に主演した花柳喜章の墓。
溝口家と花柳家の墓の位置関係。すぐ隣どうしで並んでいることがわかる。
ここでの紹介は略すが、本門寺には映画関係者では永田雅一・市川雷蔵・栗島すみ子と池田義信夫妻の墓があり、その他にも力道山・松本幸四郎(七世)・大野伴睦・児玉誉士夫・幸田露伴と幸田文など有名人の墓が数多くある。