「花魁(おいらん)」
まずは一服…? 450*600  79.8KB

おいらんがいつちよく咲く桜かな――無名氏

 花魁――おいらん――かつて吉原にいた遊女を称した言葉。 遊女を世話する禿[かむろ]や新造などが自分の姉女郎を「おいらの姉様」と言ったのが訛って、 享保(1716-36)あるいは安永(1772-81)ころから「おいらん」になったという。 つまり、本来は付き人のいる格の高い高級遊女の呼称であるが、 吉原へ行く客は誰でも“殿様”か“旦那”と呼ばれたように、 遊郭の女たちに直接呼びかける二人称としては誰に対しても使っただろう。

 元和三年(1617)、 葺屋町[ふきやちょう](現在の人形町あたり)の二町四方の土地に開設された元吉原、 そして明暦三年(1657)八月に場所を移して誕生した新吉原は、 昭和三十三年(1958)四月一日に売春防止法で終末を迎えるまで、江戸東京の歓楽の中心だった。
 江戸時代の吉原は浮世絵や文学の格好の題材で、 歌舞伎の舞台ともなり、ファッションの流行の発信地にもなるなど、 単なる歓楽街に留まらない文化の中心地であり、 人気の花魁は現在のスターのような存在だった。 現在の目から見ても絵のモチーフとして魅力的な存在である。 道義的なことはまた別問題として。

 ちなみに、頭を櫛[くし]・笄[こうがい]・簪[かんざし]で飾り立てるようになったのは江戸後期以降で、 [まげ]の形も江戸前期は現在の日本髪のイメージとはかなり異なる。 ゆえに、寛文時代の伝説的な仙台高尾や 元禄時代の大石内蔵助の遊び相手が上図のような華美な髪飾りを付けていたら、本当はおかしいことになる。
 花魁の前にあるのは煙草盆。 各々、自分専用のものを持っていた。 ドーム状のところに炭が入っていて、小さい入れ物の方に吸い殻を捨てたらしい。 長キセルは冷やかしの客の袖にからめて捕まえるため、 あるいは自分の吸いさしを「一服、喫[の]みなんし」とか言って客に吸わせて気を惹くために用いられたという。

 今回は初めてPainter6の日本語版を使用。 服の模様は千代紙を取り込み、Photoshopで変形させるなどして貼り込んだ。


※参考書:
北村一夫『吉原ホログラフィー』六興出版1987年/三宅一馬『江戸吉原図聚』中公文庫1992年/佐藤要人 監修・藤原千恵子 編『図説 浮世絵に見る江戸吉原』河出書房新社1999年 ほか

Painter 6.0.2J+Photoshop 5.02

貴方の御感想を渇望中!掲示板へどうぞ

「花の畫集」へもどる

「画集」へもどる

HOMEPAGEへ戻る


メールはこちらへ