いつかきっと、天使になれる・・・・
こころにつばさがあるのなら、羽が無くてもきっと・・・((C)おおもりよしはるさん)
翼を休める天使。
おおもりよしはるさんのPAGEのトップで上記の「いつかきっと…」を読んだのが、描くきっかけの一つとなった。実のところ、「頭のてっぺんから足のつま先」まで入る絵を描いていないなぁ、と思い、練習していたところ、おおもりよしはるさんの言葉を思い出して結果的に天使の絵となったのである。しかし、「いつかきっと」を読んだ時は柄にも無くときめいてしまいました(笑)。
初めての「裸絵」だけれども、最初からそうしようと思ったのではなく、体を描いているうちに天使に服を着せる必然性はないように思えたので、服を着せなかった。お約束なら、古代ギリシャ・ローマ風、あるいはシーツをかぶったみたいな服を着せるのだけれども。考えてみれば、旧約聖書でアダムとイブが初めて人間としての自覚を持ったときの行動が木の葉を身につけることであったから、天使が裸なのは当然かも知れない。はっ、ということは、神様って全裸マン?(爆・すみません>キリスト教徒の人)この絵では「天使の輪」も無いが、どこかのWebpageで天使は気が入っているときだけ(←どういう表現だったかは失念したが、こういう意味のこと)輪が見えると書いてあったので描かなかった。んでもって、本来天使には性別がないということも聞いたことがあるので中性的な体つきにしたつもりだけれども、如何?
人と動物との違いは言葉や道具を使うことだとか、直立歩行だとか言われているけれども、動物の中には、それぞれの行動に似た習性を持つものもいる。しかし、自らの身を己の毛皮や羽以外のモノで飾り立てようとする動物はいないような気がする。あるいは、衣服の有無も人間と動物を隔てる重要な相違点なのかもしれない。
いわゆる「裸族」と言われる人たちもいる。しかし、彼らも衣服と言うほどのものではないかも知れないが、何らかの装飾品等を身につけない人々はいない。たとえば、かつてのパプアニューギニアでは男性はペニスケースだけを身につけていたが、ある時ドイツ人とオーストリア人の青年が「パプアの哲学」を学ぶために全裸で生活しようと試みた。それを見たニューギニア人たちは「男たちはぶったまげ、女たちは家に逃げ込んだ」そうで、二人の青年は警察に捕まって強制送還されたそうだ(本田勝一『ニューギニア高地人』)。私が小さい頃、TVでアマゾン流域に暮らす裸族の生活を見たことがある。彼らは「モロ出し」状態だったが、首や腰には、なにがしかの装飾品をつけていた。もし私が本当の素っ裸で彼らの中に飛び込んでいったら、変態扱いされることだろう。本当の「裸族」は存在しないのだ。「裸族」と言われている人々と自称「文明人」の違いは量的なものに過ぎないのかもしれない。
最初は「ペン描き+カラーインク着色」風にしようと思い、主線ありの絵を描いていた。しかし、線だけが浮いて見えるので消してしまった。それにしても、編集時のサイズが大きいとPainterの水彩は重い。
Painter5.03J