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革命後ロシアはたくさんの工場などを、建設した。その様子を写した写真がたくさん展示されている。また、現在の赤の広場のレーニン廟は赤い花崗岩でてきているが、これは1,930年に建てられたものでそれ以前、1924年から1,930年までは木造であった。

革命後人々は将来に対して大きな夢を抱いていた。できる限り努力して働いた。コルホーズでの写真の数々も展示されている。タジキスタンの12歳の少女も一生懸命に働き木綿をたくさん集めたと言うことでスターリンから直接勲章を授かる場面の写真もある。

初のロシア製自動車ジーズの写真もある。1,945年ヨーセフスターリンという戦車も作られていた。スターリンが工場に視察に行ったとき工員たちはその模型を彼に送った。それは電気スタンドや灰皿等から成り立っていた。スターリンはそれをもらって自分の部屋でじっくりと眺めているとジュコフがやってきたので彼にどう思うか訪ねて見た。するとジュコフは大変に素晴らしいお土産ですと答えた。しかしスターリンはグルジア人であり、グルジアには昔から伝統があり、もし部屋に客が気に入った物があったらそれをあげなければならないと言う。1時間後その模型はジュコフの部屋にあった。スターリンはそれを惜しげもなくジュコフにやってしまった。しかしジュコフは1969年にそのお土産を博物館に寄贈した。その模型が展示されている。

スターリンの最初の妻エカテリーナ・スワニーツェ(グルジア人、1年で死別)との間の子供ヤコフの写真がある。ヤコフは兵士となり戦争で1943年ドイツ軍に殺された。1942年のスターリングラードの戦いで、ロシア軍に捕らえられたドイツ軍の将軍パウルスとヤコフの人質交換がドイツ軍より提案された。しかしこの時スターリンはロシア兵士一人ひとりは私の子供であり1兵士と将軍との交換はあり得ないと断った。そうしないと他の兵士の母親に申し訳がない。しかしながらスターリンは心の中では大変に悲しんだ。

他には彼の2番目の息子バヒリーの写真もある。彼は1,962年に亡くなった。娘シベタラーナも居て、現在米国在住で孫娘と一緒。孫息子、孫娘等は現在モスクワ在住。ただ1人ヤコブの子供エルギーニさんだけははトビリシ市に住んでいる。

大きな写真の人がヤコブです。他は孫たち。

こうして聞いてみるとスターリンも身近かに感じます。もう少し日本のマスコミにもこのようなことが取り上げられてもいいのではないでしょうか。もっと詳しく掲載したいのですが容量に制約がありますのでこの辺で。もっと詳しくお知りになりたい方はE−mailをください。

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