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乙女の塔

ここはチャルシヤベルという町の中心部である。このあたりには2,000年前も人々が住んでいた。シルクロードが通っていたので、この辺はガルバンサラエ(所謂旅篭町)が多くあった。この辺には8世紀から12世紀までの遺物40点が展示されている。15世紀にはこの辺は自由市場があったか現在は博物館となっている。ここに並んでいるのは棺である。アゼルバイジャンの各所から集められた。昔バクー市の近くにもうひとつサバイという町があった。その意味は朝のそよ風ということです。しかし13世紀の大地震によってその町は黒海の底へと沈んだ。

500年後の18世紀にそこの遺物が発見されて引揚げられた。ご覧の通りの品々です。アゼルバイジャンの発祥の地はコーカサスのアルバニアとマンナイミージアと言う町だった。それは紀元前9世紀と6世紀であった。現在のアゼルバイジャンは15世紀の初めにスマイル第1世の時創立された。1813年の戦争によりロシアとイランに分轄されてしまった。1828年には条約によりアラス川から南側はロシアに、テビリスからはイラン領となった。バクー北部には700万人そして南部には2,500万人の人口がある。1919年アゼルバイジャン共和国が創立された。1920年からはロシアとアゼルバイジャンの間で条約が結ばれソ連の統治下に入る事となった。73年間ソビエトが支配した。1992年に独立を果たし現在に至る。

???1988年からカラバカを出た人は150万人で、死者は1万人。もともとカラバックのアルメニア人はイランのスラガ村から来た人たちだった。アゼルバイジャンの2割がアルメニア人だった。????詳しい方はどうぞ補足してください。このあたりではアルメニア人との確執があったということらしい。だから現在でも仲が悪いのでしょう。 

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