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上....スピタク

1988年の地震によりほとんどすべての建物は倒壊しててしまった。25,000人ほどがなくなった。新聞によると地震の破壊力は広島型原子爆弾の10倍のエネルギーをもっていた。断層は50キロメートルにも及びスピタクをはじめ周りの村々はほとんど倒壊してしまった。学校や病院など公共施設などもほとんど壊れてしまった。

100カ国以上からの援助が贈られた。もちろん日本からの援助も送られ日本人医師団も派遣された。現在建っている建物は援助によって建設されたものである。急いで建設されたので平屋建てで小さいものも多い。援助はチェコ、ロシア、白ロシア、カザフ、イタリア、ノルウェーなど各国から送られた。マザーテレサからも救援の人々が送られた。

地震の前に人口は40,000人ほどであった。スピタクとは”白い”という意味である。畑には砂糖大根が栽培されていた。地震の前には砂糖の加工工場やエアコン工場エレベーター工場などがあった。現在でも自分の家を持てずに援助を受けている人たちがいる。11年前の傷跡が今もまだいえていない。教会は建設中。この辺の冬はエレバンより寒さが厳しい。

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下....ギュムリ

アルメニアではエレバンに次ぐ2番目の町。ソ連時代は化学工業の中心地であった。人工繊維を作る工場などがあったが現在は活動していない。自然環境保護を主張する運動が起こり現在活動を停止している。工場を建設する前には林が多く別荘地であった。現在では再び別荘地に戻り夏には多くの人たちがやってくる。市内では地震後に多くの新築マンションが建設された。現在でも建設中である。また多くの建物は修繕中である。また避難に使っていたワゴンなどもまだ多く設置されている。

バスは峠の山道をどんどん走っていく。途中休憩したところは大変に花がきれいであった。また途中道路工事にひっかかって相当時間をロスしてしまった。いろんな町を通過した。とにかく大変に疲れたパス旅行であった。結局エレバン〜トビリシ迄8時間かかってしまった。トビリシへは夜の11時に着いた。市内ではお巡りに交通違反だといちゃもんをつけられなかなかホテルへ着けなかった。

このままグルジア国境へ向かう。

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