生年月日:1960年2月3日 京都出身 O型
経歴:中学時代よりドラムを始める。京都産業大学在学中、不幸にも玉城宏志と知り合い、卒業証書を棒に振る。いくつかのバンドを経て、1983年玉城と再会、ローザに加入。(「都に雨の降る如く」ライナーより)
担当楽器:ドラム、コーラス
三月末に三原さんご本人から、経歴のまとめを戴きました!
1960年京都府京都市生まれ。父泰三は京都市交響楽団のファゴット奏者、後、岡山県津山市の作陽音楽大学、音響学助教授。ただし僕は特に音楽教育は受けていない。
岡山での高校時代より、セットドラミングを始める。アマチュアバンドを組み、文化祭で演奏していた。バンド名は「ロクザンヌ」と言い、アメリカのデカパイポルノ女優の名前からとられた。人前で始めて演奏した曲はバッド、カンパニーの「キャントゲットイナフ」。当時よく聞いていたのは、キング・クリムゾン、エマーソン・レイク&パーマー、ジェネシス、イエス等のいわゆるプログレッシブロック。ビル・ブラッフォードというドラマーはそのうち3つのバンドに在籍しており、いまだにフェイバリット。
ローザの「在中国的少年」のタムのパターンは、キング・クリムゾンの「ディシプリン」というアルバムのビル・ブラッフォードのパターンを参考にしている。
京都産業大学進学の前後で父泰三が死去、一家は京都に戻る。
頭の中には「思いっきりドラムが叩ける!」という思いしかなく、入学式にも出ず軽音楽部に日参、その時、1学年先輩にあたる、玉城宏志に出会った。かけられた言葉は確か「フランク・マリノ(マホガニーラッシュのギタリスト)って好き?」だったような
「ジミヘン好き?」だったような。「バンドやんない?」断るはずがない。
玉城宏志とのバンド「浮浪同盟(はぐれどーめい)」の他、同期の仲間と「THE・VOICE」という変態プログレハードポップバンドも結成、そのメンバーには後に「グランドファーザーズ」をつくり最近ソロアルバムも出した西村哲也が居り、「グランドファーザーズ」にも居て、現「カーネーション」のベースの大田譲も三原の同期である。
当時、音楽的にはフュージョンが流行っており、当時の先輩ドラマーに二人のテクニシャンがおり、練習法などを教わった事は後に随分為になった。
学生時代、先の事を何も考えずにバンドに明け暮れていたら案の定単位まったくなく、同時に学外で参加していた「だててんりゅう」というバンドも不調。悩みぬいた末に中退を決意。セミプロ的な活動もしつつレコード屋でアルバイトの日々が3年程続いたある日、玉城宏志がひょっこりレコード屋に現れ、「良いボーカルがいるけどタイコ叩かないか?」と持ちかけてきた。そのボーカルがどんとでバンドが「ローザ・ルクセンブルグ」だった。
その後NHKでグランプリを獲り、その後のローザは周知のとうり。
ローザ解散の直前から「メトロファルス」に参加。「グランドファーザーズ」にもこの頃いた。
「メトロファルス」
- 「GAIA」(キャプテン・廃盤)
- 「グッドモーニングミスタータリズマン」(ポリドール・廃盤)
- 「しゃらくせいや」の1曲、「ですぺらウォーク」(廃盤)
「グランドファーザーズ」
- BEST盤「GOLDEN HARVEST」の中の1曲「流れ星老人」(録音は1988)
ローザ解散後「ルースターズ」に参加、メトロ脱退まで並行してやっていた。
「ルースターズ」
- 「フォーピーシズ」(コロムビア)
- 「フォーピーシズ・ライブ」(コロムビア)
ライブも一杯やりましたです。ハイ。
「ルースターズ」解散後、「スターリン」に参加。
「スターリン」
- 「JOY」1989
- 「STALIN」1989
- 「殺菌バリケード」1990
- 「STREET VALUE」1991
- 「行方不明」ライブ 1991
- 「奇跡の人」1992 (全てアルファレコード)
ライブはもう山盛りやりましたです。はい。スターリンの演奏は適度にラフに出来てたのしかったな。
スターリンの頃からセッションの仕事が来るようになった。
石島由美子(「パパイアパラノイア」のVOののソロアルバム。)
- 「BABUHAJAR」1989 プロデュース岡井大二
小泉今日子
- 「見逃してくれよ」シングルバージョン 1990
宍戸留美なんてのもやったな。結構チョロチョロ、セッションはやってた。
それでもってツアーの仕事とかもやるようになって。
「EBI」(ユニコーンのBASS)
- MUSSEツアー 1991
「スターリン」解散後、ちょっともうバンドも疲れたので、いわゆるセッションドラマーでやっていこうと決意。SONYのSDという新人開発の部署に、知り合いで元カルメン・マキ&OZの川上シゲユキが居り、バックバンドのまあバンマスみたいな形でさんざん人のBACKをやった。その頃出てきた新人の中には「川本真琴」「ブリリアントグリーン」「パフィーのかたっぽ」などがいる。
スターリンの最後のアルバム「奇跡の人」のプロデューサーの一人だった岡野ハジメ(もう一人は吉田仁)とはそれ以降ずっと親交があり(というか仕事の師匠)一緒に天野小夜子(女優、モデル、女王様)のBACKもやってレコーディングもしている。
天野小夜子
- 「ラストダンスは私に」シングル 1996
小夜ちゃんは女王様なのだがほんとにいい人でライブではレズ、ホモ、女王様、奴隷入り乱れてすごい事になるのだが、いやーめったにできない経験をさせて貰いました。
古巣のMIDIレコードのインディーズで。
松江潤
- 「WORK OUT」マキシシングル 1994
- 「ALL THAT FUZZ」(69というバンド名義) 1995
ライブもやった。松江君はその後売れっ子ギタリストになり、ピチカートファイブとかでよくギターを弾いている、バンドも好調みたい。
松江君と同時期にスパイラルライフもやっていた。
スパイラルライフ
- 「GAME OVER」マキシシングル 1993
- 「SPIRAL MOVE / TELEGENIC 2」(3曲参加)1994
コンサートツアーも2回やった、東京では中野サンプラザ。でかいハコだった。
僕は石田小吉の曲が哀愁があって、大げさで好きだ。2のアルバムでの演奏はこの時期一番良いタイコを叩いているような気がする。
ローザがNHKでグランプリを獲った時の審査員の中に伊藤銀次がおり、SDのイベントでタイコを叩いているのを見て、SOONのツアーのドラムに誘ってくれた。
最初のツアーでは、非常に綿密なリハをやりクタクタになったがやり遂げた感は強かった、いい演奏をしたと思う。伊藤銀次はその後SOONを離れたが、その後もライブをやるときは僕が叩いた。POPな曲と演奏は楽しかった。レコーディングもした。
SOON
- 「NAKED」のなかの「太陽が沈むその前に」1997
そうそう、SOONの前に、浜田省吾のセルフカバーアルバムにさそわれたんだった。
浜田省吾
- 「初夏の頃」のなかの「グッドナイトエンジェル」「朝からごきげん」1997
この時の演奏が非常に線が細く感じられ恐縮していたのだが、浜田省吾と伊藤銀次は非常によろこんでくれた。その後これを聞いたある人が、あの演奏が人間っぽくて好きだといってくれた。あの時二人が喜んでいた理由がその時やっとわかった。
SOONで出会った、岩井英吉というベーシストは、SOONのリハで始めて会って、一緒に音を出した瞬間からの盟友なのだが、次のグンという男の子の仕事でも偶然一緒になり、シンクロニシティーを感じた。グンちゃんの仕事ではこれまた盟友弥吉ジュンジと出会うことになった。二人は今、椎名林檎でもプレイしている、出会った当時から僕は彼らに君たちは売れっ子になると言っていた。弥吉君はプロデューサーとしても有能で引っ張りだこだ。
グン
- 「STEREON」1998
- 「ALTER NET SURF」1999
- 「SUPER APE」1999
グンちゃんも毎月のようにライブをやった。久々のバンド演奏という感じ。
同じバックメンバーで「川村かおり」(SORROW)のバックもやった。
で、また伊藤銀次でナナなんとユースケ・サンタマリアのレコーディング。
ユースケ・サンタマリア
- 「お世話になります」シングル 1998
- 「PITTSBURG」アルバム 1999
1997年位から古巣のヨロシタミュージックの嘱託スタッフをやっていて、おもにサニーディサービスのドラムのアドバイザーやチューナーをしていたのだが1999年の北海道の野外ロックフェスティバル以降、パーカッションを担当していて、レコーディングでもダビングなどでタイコも叩いている。1999のツアー15本も全部参加した。
サニーディサービス
- 「MUGEN」の「8月の息子」アディショナルドラム 1999
後単発でレコーディングは結構やったが忘れた。
そうだ、牧瀬リホの映画「幕末純情伝」1991 の音楽でもタイコ叩いている。
1997年位からドラムチューナーの仕事も始めて。
「スペースカーボーイズ」、「BLUE-B」、「バンジージャンプフェスティバル」、「ルカ」、「ゼペットストア」、「SHAME」、「イエローモンキー」他、多数に携わっている。
ディレクターとして。
「PELIKAN KING」MIDI
- 「ONE」マキシシングル 1999
- 「DINOSAUR」マキシシングル 2000
(プロデューサー:弥吉ジュンジ)
後、インストラクター、アドバイザーも随時やってる。過去に教えたドラマー多数。
てな感じですかね。
オフィシャルサイト:三原重夫のページ ご自身が製作!!
2000/4/15 更新
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