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ローザ・ルクセンブルグ・インタビュー

ROCKIN'ON JAPAN 1987年5月号

古典的とも言える芸術観---家庭環境を通じて語る、どんとの"ロック正統派"ぶり


"「私の音は一体どこにあるんだぁ!」って言って、一生ラッパ吹いて死ぬ感じ…… 簡単に言えば俺はそうやから。"

─家庭はノーマルだったんですか。

「ノーマルやね。だけどノーマルなようでいてノーマルじゃないのかなあ。オヤジは米屋やってんのやけど、米屋やりながら、『俺はこんなことしとっても面白くない』とか言ってさ、絵描いたり小説書いたり、ジャズのレコード聴いたりさ、古本屋やりたいとか、何かそういうもんに行きたがっとってさ、全然商売一生懸命やらんと書斎で悶々と趣味に生きとるような父親でさ、なぜか性風俗関係の文献が膨大にあってさ(笑)」

─そういうの発見しちゃったの?

「だって俺が生まれた頃から父親の部屋っていったらヌード・ポスターで埋まっとんねん。ヌード・ポスターに紛れて自分で描いたマリリン・モンローの絵があったりとかさ、訳わかんないんだよ、俺のオヤジ。で、ジャズのレコードがズラーッとあって、昔の写真とか見たら、ジャズのレコード、ズラーッと並べて好きなレコード持って写ってるのとかバカな写真がいっぱいあってさ。」

─へえ、田舎のスノッブだったんだ。

「そうそう、ドスノッブでさ。小説なんかも親戚一同には江戸小説と言われながらも本人は純文学だとか言って頑張って書いとったりさ」

─そういうオヤジさんの性行見てどういう風に思ってたんですか、子供の頃は。

「イヤやったね(笑)。やっぱ友達来たりするやん、で、父親の部屋見て『ウワーッ』とかいうわ。で、学校行って言いふらすやん『こいつのオヤジの部屋なあ、女のハダカの写真いっぱい貼ってあるぞォ』言うて。『悪趣味、悪趣味』って言われてさ(笑)。でも言わんかったけどね、親父には。内心は許しとったから」

─じゃオヤジさんもどんとさんが芸術家方面ていうか、アート方面に行くってことには賛成のとこが大きかったんだ?

「もちろん。オヤジと俺って半分ライバルみたいなとこがあったからね……」

─オヤジさんの影響はすごく大きい?

「ま、自然にそういう環境になったという点では影響あったかもねえ。絵なんか一緒に描きに行ったりレコードの話したりとかは、すごい小っちゃい時からしとったから。父親の好きなミュージシャンの話とか、俺は訳わからんかったけど、『アート・ブレイキーが日本に来たとき俺は楽屋行った』とかいう話聞かされたり、色んなサイン見せられたりさ。だから俺なんか小学校1年ぐらいの時に、アート・ブレイキーのドラム叩いてる写真見て、ああカッコいいなんて思って絵描いとったもん、訳わからんと。そういう育ち方したから。」

─オフクロさんはそういうオヤジさんに対してはどういう風に考えてたんですかねえ。

「オフクロは全く何も考えてない。一人で仕事真面目にやっとる。全く関係ないとこで仕事に精出してる(笑)。で、諦めとる(笑)」

─そういうノーマルなオフクロさんだったら、ウチの息子は京大に入ったんだし、まともなエリート・コースを歩んで欲しいわ、っていう気持ちでいたんじゃないでしょうかね。

「オフクロの場合、オヤジがそうやって仕事サボッてガチャガチャしとっても文句言わんと一人で頑張ってしまうようなタイプやから、俺のことも文句言わんと一人で心配しとるだけやね」

─じゃ、プロになるんだ、って話した時には何て言ってました?

「喜んでもおらんかったけど……心配は心配らしくて、一人で心配しとるけどね」

─オヤジさんはどうなんですか

「父親の場合は……」

─お前やったな!みたいな?

「ううん、もっとシニカルなこと言うねん。『どうせやんのやったらお前もうちっとパチッとしてゴールド・ディスクもらえ』とかそういうノリでさ。偉そうなこと言うわけだ。『もうちょっとお前、ジャズも聞け!』とかさ、『そんなことやっとったらいかんぞ』とかさ」

─オヤジさんがそういう純文学とか芸術家志向だと、ポップ・ミュージックとちょっと違うじゃない。むしろその芸術家志向を裏切るみたいな、売れてしまえば勝ちみたいな要素が強いでしょ。そういう面での反発はオヤジさんの方でないんですか。例えばパンクなんかやっても全然わからないとか。

「パンクとかはわかるんじゃない?主流に対する反主流のあり方みたいのはようわかっとる人やから。反主流こそ美しいちゅうのは伝統的に僕んちにあるね。だから、要するにおんなじようなこと考えとるわけだ、父親と僕は。なんかあまりにそっくりでバカらしくなる。ただの親子やなぁっていう感じですんでしまうねん(笑)バカバカしいなホント。自分で全然知らんかったとこまでも、大きなって、ああそうか、と思うようなこといっぱいあるもん ね」

─大学入るまではずっと(岐阜県)大垣市にいたんですよね。大学入ってから別世界を見てしまったみたいな、カルチャー・ショックはなかったんですか。

「なかったというか、すごい期待しすぎとったというか。俺が期待しとったんは今から思えば、それこそ京大西部講堂!!みたいな。村八分!!みたいな世界やねん。シャブ中、ジャンキーうじゃうじゃいます、穴蔵でシンナー吸ってます、みたいのを期待して行っとったん(笑)。そしたらもう何もないやん。もういやんなっちゃってさ。何つうか物憂げなインテリの退廃的な感じ、みんなボードレール読んでます、ジャズ喫茶で、時にはLSD(笑)、みたいなそういう世界ばっかり想像しとったから」

─ハハハ、それは典型的な田舎モンの症状ですねえ。

「そうですね、俺より十歳ぐらい上の親戚のオッサンが、京大行っとったんだ。その人の話とか何やかんや 聞いたり、本読んだりしてて、いつの間にか俺より十年前の京大のイメージができとった感じでさ」

─じゃ今の、ロック・ミュージシャンでも煙草は吸わずにリンゴの何とかでウガイしてますとか、そういう健康ノリって全然好きじゃない?

「そんなもん論外やね。そういうのは全然興味ないな。それより、もっとブルージィな在り方が(笑)好ましいなぁ。結局のところ、『私は自分の音を作るんだぁ!』とかいう感じが好きやね。『私の音は一体どこにあるんだぁ!』って言って一生ラッパ吹いて、『違う!』とか言いながら死ぬ感じ(笑)。簡単に言えばね。俺がそうやからね」

─けっこう芸術家ノリですね。

「そうですね、芸術家ノリっていうか、俺はそれが一番音楽的なノリやと思うけどね、そうあってこそ初めて音楽だ、みたいに思っとるから」

─例えばヒューマン・リーグなんて黒人を入れて急に当たってしまったけども、そこには自分のポリシーというか自分の見極めるべき道なんてハナからないわけなんですが、そういう成功例っていうのは嫌いですか。

「俺は自分がやらなイヤやからね。自分がして何ぼのもん、というとこがあるから。例えば黒人のオッサンに感動したとしたら、俺は俺なりにあいつに負けん音をどうやって出すか、とかっていう風に行くだけで、そいつと一緒にやりてえっていう風には、まずならん」

─じゃポップ・ミュージックなんかにしても方法論で色々変えていくっていうよりは、むしろ自分の存在感とかそっちの方が大事なのかな。

「ホントの意味でのプレイっていうの?ボーカルにしてもギターにしても、ホンマの意味の芸こそ問われるべきだ、みたいな」

─すごい古典的ですよね

「そうやね。だから、シロウトでも出来てしまうやつっていうよりはさ、マイルスやから吹ける音とかそういうのに惹かれるから。すごく原点に、原点に、というタイプやから。例えば、やっぱりエリック・クラプトンいいって言って行くよりは、ロバート・ジョンソン行って、ああやっぱりチャーリー・パットンかっつって、こいつはなんでこんなことやり出したんだっつってそのまた奥に行ったりして、で、やっぱり一番好きなのはロバート・ジョンソンだなと思ってそれを聴いたりする」

─もろ探求型ですね。

「そうですね。だけどコレクターじゃないねんね。自分のこととかもよう考えた上での話で、ホント探求型やね。方法論イッパツみたいなPILみたいなのも昔はすごい好きやってんけどね、今はやっぱり基本的にブラック・ミュージックというか」

─もっと、例えばウケるメディアであれば何でもノってしまうぞ、というしたたかさがあるのかと思っておりました。

「俺はバカ正直に生きたいもんだぜ(笑)とか思って。どんなとこでもそれこそドラムとアンプ用意してあったらバチッとノリノリの音がいつでも出せるっていう在り方以外にバンドというのはないのだ、というぐらいに。それあっての、ちょっとしたキャッチーなものやっている」

─バンドっていうのにこだわります?

「やっぱりね。特にドラムとベースってのがすごい好きでさ、ギターは俺が弾きゃええと思うんやけど。一人でやるってのももちろんあるけど、ドラムとベースと俺のユニットってのは最小限あるね」

─全部自分でやってしまいたいってのはどれくらいあるんですか。

「全部自分でやるってのは、ソロとして一人でステージ出てってパフォーマンスするっていう意味やから、それはそれで一つの在り方で、今もずっとある。でもただ単純に楽しさで言ったらね、それは、その時の自分に応じていつでも一人でステージで何でもできるってのはずっと持ってるし、それはそれで成長してくやろうから、バンドっていう形はもう一つの自分みたいな感じでずっと維持して行きたいなと思います。バンドやって初めて一人になれる、みたいなとこはあるしね。一人になったら一人かっていうとそうじゃない気がして」

─オヤジさんに認められたいっていう気持ちありますか。

「そりゃないね」

─オヤジさんに誉められたい、みたいな。

「それもないね。もう止まっとるから、頭が(笑)。だからそれはないね。最近はホンマの意味で、いい父親持ってしあわせだ、ぐらいで、その辺はもう通り過ぎてしまったっつう感じ」

─ふつうロックとかに走ったりする典型的なパターンとしての悲惨な境遇はないんですか。 例えばどこかで何か裏切りがあったことで自分の資質に目覚めるとか。

「あるね。やっぱあるね。それは一番大切な部分やね。大切だからこそあんまりあんまり人には言えんという」

─ということは人に言えないほどけっこう大きい問題なんだ。

「まあね。だって(笑)……」

─他のインタビューなどを見ると、ホント快活で明るくて裏がないという感じがすごくするんですよね。ロックに向かっている一番根本的なパッションがというか動機というか、そこのところは一体どうなっているのかという。

「ひねくれの源みたいなやつね。私の場合やっぱり……何でしょうかね………そういうのはね、たぶん人に言ったら何だそんなことかと言われるし、だからそういうとこで却って言えんようになっとるという感じがしてね」

─じゃ自分で完全に対象化できてないんだ。

「うん。そうやね。対象化できとらんね、それだけはクリアーしとらんね」

─とりあえず、そういう源を笑いとばすために、どんとさんの音楽はあると、言ってしまっていいのかな?

「ボキはね、そういうのをバネにしてやるっていうのはあんまり好きじゃないの、基本的に。あの、精神病ノリ好きじゃないの。だからそれこそそういうところで俺のこと感じてる人がおったとしても、俺はやっぱりロックなんて大嫌いだって感じでさ、音楽はノリだぜみたいな感じの人だからさ、ノリとガッツやと思っとるから。俺音楽やっとる時にそういうことって全然考えてないけどね。だから何かさ、俺は屈折をバネにして実は白い壁の中で三年間ほど生きてその経験が今、みたいなやつは(笑)ちょっとダサイと俺の頭の中でされとるから。例えばジミヘンとか見ていいなって思う気持ちあってさ、あいつが黒人でどうのこう のって思わんしさ俺は。あいつのギターはいかしとるしさ、何てカッコいいんだろうって、すごくプラスの部分で感動するわけやんか。有無を言わさんプラスっていうかさ」

─それはわかります。結果として出てきた音楽がカッコよければ、それに変てこな分析を加える必要はないというのは。じゃあ最初のロックへの目覚めというか音楽体験で一番深入りしていった部分はどういうところですか。

「俺まずあれが嫌いやってんね。世の中の当たり前とされていることが全部、とりあえず嫌いやったん。そんなこと当たり前やからせないかんとか言われるとムカッとくる子やったん、小さい頃から。信号は青は進めで赤は止まれとかさ、とにかくひねくれもんなんだ。クラスでカッコいいこと言うやつがいたら、『何じゃあいつー』とか言って絡んだりするタイプや。『僕はそういうことはいけないと思います』とか言われると『何ィ!?』とか思うタイプやねん。だからとりあえず現状肯定的なものは何もかもイヤやった。絵でも字でも音楽でも。初めて泉谷とか聞いた時は、『やったぁ、ホントのこと言ってるやつがおる』という感じで、『これがホントだぜ』みたいな感じやった」

ROCKIN'ON JAPAN '87/5 P??:インタビュアー 増井修

2000/08/29、文字入力:chiccaさん 感謝!


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