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(平成10年3月号2〜3p) ![]() 現在、私達の入院している筋ジス病棟で、歩いている人はごく一部だけで、ほとんどが車椅子で日常生活を過ごしている。 私が入院した頃は全体の三分の一ぐらいの人が歩いていたように思うが、今では病気の進行に伴い手動車椅子を自力でこぐのも苦になり、電動車椅子に乗っている人が随分増えた。 今回のテーマは「歩きたいと思うとき」であるが、私達の中には病気の症状によって歩いた経験のある人もいれば、生まれてから一度も歩いたことがないという人もいる。従って、それぞれの思いや感じ方などは十人十色である。それでは、どんなときにそう思うのかをみんなに書いてもらうことにした。 彼女とデート 久保山洋児(56歳)日頃はあまり考えたことはありません。将来、歩けるという希望もないし、諦めたからでしょう。 皆さん、こんな夢を見たことありませんか。夢の中では歩いたり、走ったりしているが、急に力がなくなり、目が覚めるということが…。 一番歩きたいと思うときは、彼女とデートのとき、腕を組んで歩きたい。背に手をやって歩きたい。極めつけは手をつないでソフトクリームを食べながら歩きたいですよね。 ちょっと年甲斐もないけど、いくつになってもいいからもう一度歩きたい。 歩けない不便さは? 添島克彦(30歳)物心ついた頃は、もう病気の進行が進んでおり、歩くのもやっとで、入院直後に車椅子生活となった。だから、歩いていた頃の印象はほとんどなく、これ(車椅子生活)が当たり前という感覚しかない。 これが逆に良かったのか、障害を持ったことを不幸だとか、特別なことという意識は全くなく、車椅子生活にもそれほど不満を感じたことはない。どんなに車椅子の不便な場面に出くわしても、「歩きたい」という気持ちが今まであまり起こったことがないというのが正直なところである。 では、一度も「歩きたい」と思ったことがないかと言うと、そうではない。今言ったことは、歩ける生活と車椅子生活との差の実感がないから不便さが分からないのだと思う。だから、歩けないことがどれほど不便なのかを実感してみたいと思うことはある。 そのためには、もう一度歩いて生活してみる必要がある。私が「歩いてみたい」と思うのは利便性などではなく、こういうときである。 いろんなところに行きたい 五郎丸哲也(42歳)私は二十五歳ぐらいまで歩いていました。だから、歩いていた頃に戻って家の中を自由に歩くことができたらうれしいです。特にトイレや家の二階に自由に行けること、本棚に手が届くことで他人の手を煩わさずに本を取ることもできるからです。天気のいい日は近所へぶらりと散歩に行ったり、コンビニへ行ったりしたいと思います。 でも、本当に病気が治り元気な体で歩けたら、旅行をしてみたい。いつも家の中に閉じこもっていたり、病院内にいては外のことが分からない。テーマパークやいろんなイベントへ参加したりと、お金の許す限りどこかへ行けたらと思ったりします。 誰かのためになりたい 日高恵美(28歳)「歩きたいと思うとき」、それはもう決まっている!SMAPの追っかけをしたいとき!今の一番の夢は東京・世田谷のTMCスタジオに「SMAP×SMAP」の収録を見に行くこと。誰かコネのある人は紹介して下さい。(かなりマジです。) で、まじなところ、私が歩きたいと思うのは…んー難しい。まず夜遅くまで遊んで回りたいとき。嫌なことがあって脱走してしまいたいとき。今よりもっともっと幅広い活動をしたいと思ったとき…。どれも本当ですが、やっぱり一番は「誰かのためになりたい」と思ったときかな。でも、これは決してかっこいいことでもなんでもなく、人間の性分だと思います。友達でも親でも、恋人でも誰でもいい。「自分だけ」のためではなく、自分以外の人のために何かをするって、一人の人間として存在を認められたようで、ちょっとうれしいじゃないですか。でもこれって歩けなくても可能なことかな? 異性と外出するとき 久野憲一郎(20歳)今から十年前、私は車椅子に乗るようになった。そのときまでは、自分の足で歩いていたし、車椅子に乗り始めたばかりだったので、車椅子生活にも慣れていなくて、前のように歩き回って友達と一緒に学校に行ったり、遊びたいと思うことが毎日あった。最初の何ヶ月は歩けなくなったことを受け止めたくなかったが、月日が経つにつれて車椅子に乗ることにも抵抗がなくなり、今では車椅子も一つの個性かな?と思えるようになった。 外に出るのは難しいと思っていたけど、最近ではよく外出するようになった。特に歩くのと車椅子では違いを感じることは少なくなったと思う。 でも、一つだけ不安なことがある。それは同性の友達と遊びに行くときはトイレなどそんなに心配はないけど、異性の人と行く場合は大変だ。誰もが異性の友達、恋人と遊びたいと思ったことはあるはずである。そのときだけは歩きたいと思う。車椅子に乗っているので、たまには歩いてみたい。少しは気分転換になるかな? 歩けない苦しさ 亜流魔次郎(24歳)私の望みなんてちっぽけなものだった。大学に行き、働く。ただそれだけだ。そんなありふれたことですら、無数の壁が障害となり、叶わなかった。とりわけその中でも一番の障害となったのは、私自身の障害だった。 やる気と努力があればやれないことはないと思ってきたが、それだけではどうしようもなかった。やりたいことが出来ない。それがこんなにも苦しいことだと初めて感じたように思う。 自分の病気については受け入れているつもりだ。もちろん歩きたいと思うことはあったが、それでもこのときほど自分の体を恨めしく思ったことはない。 ずっと病院や養護学校で過ごした私は、自分が障害者だと特別に意識することはなかった。それが、その外に出て健常者と一緒に生活して、自分の障害を再認識することになった。 たまに思う。「歩けたらなぁ…」。 歩くということ 出腹田明(28歳)小学時代の私は、何よりも外に出て遊び回るのが好きで、友達と野球に明け暮れていた。たまに度が過ぎて、足には生傷が絶えなかったり、交通事故にも遭遇したことがある。本当に親にはいろいろと心配ばかりかけてきたものだ。 また、そんな私もしばしば倒れることはあったが、周りの人達の手助けのおかげで、ごく普通に小学校生活を過ごすことができた。 でも、中学生になってからは辛いことが多かったように思う。段々と病気が進行し、歩くバランスが悪くなってきて、かなり倒れやすくなっていた。いつ倒れるかという恐怖心から、安心して歩くことができない状態に陥り、とうとう歩けなくなってしまった。 このときは、もう歩けなくなったんだという残念な気持ちもあったが、歩くことの苦痛から開放されてホッとしたのが正直なところだった。 その後、車椅子で授業を受けるようになったが、この学校では特に介助などの協力を得られなかったため、階段だけは母が私を背負っていかなければならず、もうこれ以上母に負担はかけられないと感じた私は入院することを決心した。 病院内は広くて動きやすく、車椅子をこぐ力もあった私は、一部介助は必要だったけれども、何の不自由さも感じず快適そのものだった。当然、この頃は歩くことの必要性を感じることもなく、完全に歩くことなどあきらめてしまっていた。 ところがその半年後、私は歩くということを再び思い出すことになる。何とリハビリをする中で長下肢装具(足を矯正するとともに起立を補助する靴・器具)というアイテムに出逢い、地に足を着けて歩けるようになったのだ。 これをきっかけにして、私はこれまで忘れかけていた歩くことの喜びや大切さ、その意味を改めて思い起こすことになった。 それからというもの、歩いている期間をできるだけ継続させようとリハビリに全力を尽くして取り組んできた。 私達の病気は、未だに治療法が確立されていない難病である。これまでみんな病気と闘ってきて、辛かったこともあったと思う。特に一緒に生活してきた仲間が亡くなっていくことは大変悲しい出来事だ。そのような状況を見てきた私達は、自分も近い将来そうなるのではと思い、その度に病気を治したいという希望を失いかける。そういった気持ちは年々歳を重ねるにつれて、より一層強くなっていくだろう。 だが、その一方で、病気にくじけずに頑張って生きていこうと気持ちを奮い立たせて闘病に励んできた者も多い。 決して誰しも不自由な体を望んでいるわけがなく、自由気ままに自分の足で生きていきたいと思っているはずだ。 |