創刊
平成4年10月、当時の看護士長の「新聞を作ってみないか」という呼びかけに3人の青年が立ち上がり「逢飛夢」を創刊。
創刊当時は軽い気持ちで始めた3人だったが、月日が経つにつれ活動が面白くなり、もっと紙面を充実させようとメンバーを集めた。メンバーが増え社内は一層活気づき、業務を役割分担することにより、新聞社として本格的に活動するようになった。
また、院外特派員を採用。それぞれの立場から感性豊かな記事を執筆。逢飛夢新聞社の頼もしい仲間となった。
紙面を充実
平成6年6月に、それまでのワープロ編集からパソコン編集に切り替えた。ワープロ編集時には見づらいと不評だった紙面も、パソコンに変わりその問題も解決。デザイン、レイアウトなど編集方法にも幅が広がり、以前よりも見やすい紙面ができるようになった。
また、購読者名簿や経理もパソコンで管理する。
院内から外へと視野を広げ始め、久留米市役所内の障害者を雇用する喫茶「あおぞら」、久留米市の身体障害者授産施設「大成園」、映画監督の山田洋次氏へのインタビュー(写真)など、積極的に取材活動を行う。
逢飛夢が逆取材される
いつもは、いろんな人にインタビューをしている私達が逆取材された。平成5年7月、最大のライバル紙(?)読売新聞から取材の申し込みがあり、活動の内容を中心に紹介された。その後も、平成8年1月に筑後市社会福祉協議会の広報紙、2月に福岡シティ情報誌「博多独楽」に、私達の生きる姿や活動に取り組む姿勢などについて掲載された。
GAOH―BANDのコンサート支援
平成6年、逢飛夢にとって大きな取り組みがあった。GAOH―BANDと筑豊のビートルズことザ・フライング・エレファンツのコンサートを主催する実行委員会より、コンサートの協力を要請され、パンフレットやチケット作成、紙面でのキャンペーン実施など全面的にバックアップ。8月に行われたコンサートは大成功に終わった。
活動を支えるボランティア
購読者が増えるにつれ、綴じ込みや発送の作業が自分達だけでは難しくなり、作業を手伝って頂くボランティアを平成6年11月号の紙面にて募集。現在では20名の方が綴じ込みの日に来て下さり、作業もとてもはかどっている。そんなボランティアの心優しい後押しのおかげで、私達の活動もここまで成長したといえる。
積極的な活動を展開
病院で生活している私達は人との出逢いが少ないが、この活動をすることによってたくさんの人と出逢うことが出来た。
プロ野球選手や登山家の不可能に挑戦する男&桾箔Oさん、山口県内の重複障害児を抱えたお母さん方で構成されている「ラ・ベルヴィ」の皆さんとの交流を続けている。記事では、意義ある人生とは何かを考えさせられ、読者の反響も多かった。
逢飛夢の支局の開設や社員旅行の実施など、積極的に活動している。
あすかちゃん誕生
平成7年9月、逢飛夢のマスコットキャラクタが誕生。愛称を募集し、高橋美紀さんが考えたあすかちゃんに決定した。このあすかちゃんは不死鳥をイメージしたもので、これからも、この活動を不死鳥のごとく続けていけるようにとの願いを込めている。
奇数月発行に変更
創刊時より月刊紙として親しまれた逢飛夢も、平成9年4月からは、二ヶ月一回(奇数月)の発行となった。これは、一つ一つの記事や企画がおろそかになったことや、社員各自の体力低下など、毎月の発行が難しくなったため。「二ヶ月に一回は待ち遠しい」という読者の声もあったが、その分、十分に時間を費やし質の高い紙面にしていきたいと考えている。
ホームページの開設
平成9年10月で創刊五周年を迎え、その記念事業としてホームページを開設。ホームページ独自のコーナーを企画中で、最新号など記事随時更新予定。
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