〈オジサンの主張〜その12〉

●オジサンの主張〜その12
〈男も女も同じ土俵で闘え〉
(5.26/09〜5.31/09)


 このシリーズは前回の第11弾で本当の最終回を迎えたと自分でも確信していたのですが、ひとつ、どうしても書いておきたいことを思い出してしまいました。
 それは「主張」というよりは「お願い」です。

 『Zensoku Web』は今、運営もメール対応も休止していますが、そうアナウンスしてもメールをくださる方がいます。
 メールをくださるのはかまわないのですが、お返事を書けないことが多いのと、いい情報をお知らせいただいたときなどはそれを紹介できなくて、本当に申しわけない気持ちになります。
 そういうメールならいいのですが、中には物凄いことが書いてあるメールも届きます。
 そのほとんどは私の勘違いや凡ミス、取材の至らなさ等による“おかしな記事”に対する攻撃メールです。
 “攻撃”と書くとピンと来ない方もいると思います。しかし、私にとっては冗談抜きでまさに“攻撃”なのです。
 「頭に来た!」「無知とはいえ許せない!」「即刻削除しなさい!」といった強烈な表現のメールだからです。
 そういう強い言葉にすぐストレスを感じる私にとっては、そうした言葉はただの強い表現では済まされず、まさに攻撃を受けたかのような感覚になるのです。

 1年半前、私がウツになったころから、妻は凄く荒れるようになりました。
 汚い言葉と激烈な口調で私を責めまくるようになったのです。
 彼女は、言いたいことがあると全部言い尽くすまで何時間かかろうと相手がどう迷惑しようとあくまで最後まで言い切る性格なので、その度に私の心はズタズタに引き裂かれ、私の体はほとんど蒸発して消え去ったのではないかと思えるほどの凄まじい攻撃が毎日のように続きました。
 ※しかし数ヵ月前から彼女は急に優しくなり、それは今でも続いている。私のウツが寛解したのはそのおかげだと思う。
 このように言葉で攻撃される度に私がいつも思うのは、言葉の暴力は肉体的な暴力より数段勝るということです。
 肉体的な暴力も確かにひどいものですが、アザができても骨折してもせいぜい数ヵ月で治ります。
 しかし、言葉の暴力でズタズタになった心は何年も何十年も癒えません。

 世は夫の暴力に苦しむ妻のことがよく話題になります。
 私は、その陰であまり目立たないながらも、妻の言葉の暴力で傷付いている夫が案外たくさんいるのではないかと想像しています。

 冒頭で書いたように、『Zensoku Web』に寄せられるメールの中には、「あのページを即刻削除すべきです!」とか「ああいう表現をするあなたを私は人間として許せない!」といった強烈なヒステリック表現で私を責める内容のものがときどきあります。
 それらの攻撃的なメールは私の勘違いやミスや怠慢による間違った情報に対する叱責なので、私としては甘んじて受けなければならないものなのですが、それにしても何もそんなに強い表現を取らなくてもいいのに…という気持ちは拭えません。
 『Zensoku Web』を何度か閉めようと考えたのは、そういうメールが怖いからでもありました。
 何しろ私の受ける傷はかなり大きく深くて、日常生活にさえ差し支えるほどのダメージをしばらく、ときには何年間にもわたって受けるからです。

 実は、そうした強烈なメールのほとんどは女性からのものです。
 女性は男性に比べて体力が平均して落ちるので、そのため神様は女性に“言葉”という武器を与えたのかもしれません。
 その武器を使って女性が喧嘩に勝とうとしたり自分を守ったり、あるいは正義を訴えるのは当然の権利のようなものかもしれません。
 別に女性に限らず、その“権利”について社会は十分に認めています。

 ところが、その武器が腕力である場合、社会は認めません。
 そんなの当たり前じゃんかと、おそらく誰もがそう思って不自然さを感じないと思うのですが、私は「なぜ?」と不自然さを感じてしまうのです。

 相手が自分の得意とする戦法で来たとき、こっちも得意の戦法を使うことのどこが悪いのか?
 得意の戦法が“腕力”だと不公平になるのでしょうか?
 それが私にはどうもシックリきません。

 喧嘩であれば双方が得意の方法や相手の苦手とする戦法で攻撃するのは当然のことで、その戦法のうち腕力だけがいけないというのは、そのことこそ不公平ではないでしょうか。
 なぜなら、言葉の暴力のほうが肉体的な暴力よりもときとして残酷だと思うからです。

 もちろん、社会にはルールというものがあり、何事も腕力で解決してはいけないという暗黙のルールがあるのは私も承知しています。
 原則としては私もそのルールに賛成です。

 しかし、あまりにひどい罵倒や脅しの言葉を機関銃のように撃ちつづけてくる相手に対していると、その“暗黙のルール”が理不尽に思えてくるのです。

 こんなことは考えたくありませんが、「暴力をふるうヤツはサイテー」という“世間の常識”“暗黙のルール”をふりかざして、相手が反撃してこないことを十分に見越した上で言葉の暴力をふるっている人はいないでしょうか。
 いるとすれば、そういう人間こそサイテーでしょう。

 お互いに公平な立場で土俵に立ちましょうよ。
 自分だけが安全地帯にいて、その立場で相手を攻撃するのは、どう考えても卑怯です。
 殴られるのを覚悟して言葉で攻撃するというのなら私は文句を言いません。
 殴られるのはイヤで、だから“世間の常識”“暗黙のルール”をふりかざすのはみっともないとさえ思います。

 私はかつて妻から毎日のように攻められていたとき、そんな考えを持ってしまいました。
 そして、『Zensoku Web』に寄せられるいくつかの“攻撃メール”を見る度に、やはり同じような考えをするようになってしまいました。

 タクシーのお客さんにも男女を問わずそういうのが結構います。
 私たち運転手が反撃してこないと知って、言いたい放題、運転手を非難し罵り脅します。
 こちらに非があれば仕方ありませんが、非がないのに罵倒されるのはもうホントに悔しい。
 何も言い返してはならない立場なので必死に耐えますが、そのストレスたるや言葉では表せません。
 そんなサイテーで卑怯な人間に対して頭を下げなくてはいけないのがたまらなくなるのです。

 私は暴力を肯定しているのではありません。暴力は確かにいけないことです。
 相手が無抵抗でいるのに暴力を使うのはもちろん、相手が自分より弱い場合にも暴力を使うべきではありません。

 しかし、相手が自分よりも強力で、反撃しなければ自分や家族や仲間や弱者がやられるというときに、自分の使える武器が腕力しかなかったら、その腕力に頼るのはやむを得ないケースもあるのではないでしょうか。

 だから「腕力をふるう権利を認めろ」と言いたいのではありません。
 私がお願いしたいのは、「腕力で防ぎたくなるようなヒドイ罵詈雑言はやめてほしい」ということなのです。
 ただそれだけです。

 そのことを言いたいがためにクドクドといろいろ書きました。
 何だか堂々巡りしたようでもあり、最後が尻切れトンボのような文章になってしまいました。
 でも、現在の私はまたちょっとウツなので、書き直すのも面倒で、このまま公開します。

 正直に言うと、またちょっとウツになっているからこのページを書きました。
 こんなときに“攻撃メール”などを喰らってしまったらもう終わりだと恐怖したのです。
 実は、私がウツになったキッカケのひとつが、攻撃的なメールを立て続けにいただいたことにあるのではないかと最近考えているのです。
 だから、恥を承知で、大慌てでこれを書きました。

 私の「お願い」は以上です。
 失礼しました。

《2009年5月31日追記》
 今になってこれを読んでみたら、私ってものすごい被害妄想ですね。
 攻撃的メールが届くのは今でも恐ろしいと思いますが、こんな文章をわざわざ書いて防ごうなんて、ちょっとやりすぎだし、少し見当はずれだなとも感じます。
 書いたときはマジで怖くて焦りまくっていたのを覚えていますが…。
 私のウツは寛解(見かけ上の症状がなくなること)したのかもしれませんが、身体の内部ではまだくすぶっている気がします。
 それと、「攻撃的メールはやめて」とかお願いしたこの私も、かつて人をメールやホームページで人を攻撃したり罵倒したことがあることを思い出し、何と勝手なやつなんだと自分がイヤになりました。
 例えば「喘息TOPICS」の「ベロテック規制反対1〜2」や「喘息のバカやろう!!」の「続・医師に望むこと」等では弁護士や医師を相手にネット上で喧嘩じみたことをしていますし、どのページで書いたかは忘れましたが、ジャーナリストの櫻井よしこさんや作家の竹内久美子さん等をケナしています。いずれも重大な理由があってのことでしたが、罵詈雑言の連打のような表現をした記憶があるので、今になって反省しています。
 今後は私も相手を傷付けるような表現はもちろん、相手が迷惑と感じるようなメールなども避ける努力をしたいと思います。


メニュー | 喘息VOICE | 喘息TOPICS| 喘息のバカやろう | 喘息でも元気だ | 喘息の吐息 | 早わかり"喘息" | リンクページ