〈オジサンの主張〜その11〉
●オジサンの主張〜その11
〈「憲法9条問題」を考える〉
(4.26/09)
このシリーズは前回の第10弾で終了したはずだったのですが、「あ、これについて“主張”しないでいるのは日本人として卑怯だ」と考え、またまた過激で極端な「主張」ながら、第11弾を書かせていただきます。
で、前回の「fine」は取り消し、禁断の木の実を食べるようでちょっと怖いというのが本心なのですが、日本人なら避けて通れないことについて「主張」をさせていただきます。
憲法9条の問題です。
改憲してこの9条をなくすか書き換えるべきだという意見が勢力を得てきている気がします。
しかし私は9条をなくすという改憲には反対です。なぜなら、改憲して自衛隊を名実ともに“軍隊”だと認めてしまうと、次にはおそらく“徴兵制”を認めようとする動きが出てくると思うからです。
自分の息子や夫や恋人が徴兵されることを考えてみてください。私は絶対にイヤですよ。“君が代”を国歌として歌っていると軍国主義が復活するなどとは私には思えませんが、“徴兵制”が憲法の中に明記されてしまえば日本はかなりの確率で昔のような軍事国家への道を歩きはじめるのではないでしょうか。
だから私は9条の改憲には反対です。
ただし、9条に“但し書き”を付けて、ある面だけの活動を自衛隊にさせるのは今後の時代には必要なのではないかと思いはじめています。
そのことを論じる前に、日本国憲法とはなんぞや、ということについて書きます。
まず、日本国憲法の前文には以下のように書かれています。
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
旧仮名遣いだし昔の文体なので違和感を覚えますね。それを別にすれば、なんて素晴らしいことが書いてあるんだと思った方が多いのではないでしょうか(全然実行されてませんけど)。
この前文にあるように、日本国憲法はなかなか素晴らしい理想を掲げて作られたものなのです(しつこくてすみませんが、それら理想は全然実行されてませんけど)。
作ったのは日本に進駐したアメリカであって日本ではない、だからこの憲法は日本のものではない…と主張する人がいますが、それは間違いのようです。確かに進駐軍からの圧力等はあったし、提案めいたものもあったようです。しかし、考えて考えて最終的に作ったのは日本人たちです。
私はこの憲法がアメリカ製であろうとかまわないと思っています。要は中身の問題で、中身さえ良くて、しかも日本に適した憲法ならそれで何の問題もないと考えています。
その中身は、前文に示された理想を実現させるための、これまた素晴らしいものです。
その特徴を簡単にまとめると以下のようになります。
「平和主義・国民主権(主権在民)・基本的人権の尊重を三大原則とし、天皇を象徴とし、主権を国民に置き、個人と基本的人権の尊重を期するため、国会・内閣・裁判所・地方自治などの国家の統治機構と基本的秩序を定めている。戦争の放棄と戦力の不保持を定める平和憲法として有名である」
しかし、この三大原則もひとつとしてマトモに守られていません。実現されていないのです。
天皇は象徴になっていますが、主権が国民にあるとはどうしても思えません。悪い政治家とずるい役人と大儲けしている企業と強い暴力団(右翼)がこの国の“主権”を握っているようにしか私には思えません。
個人と基本的人権が尊重されていないのも明らかです。尊重されているのはやはり権力や金と悪知恵を持った連中で、一般庶民はひいひい喘いでいます。
その庶民を助けるべき国会・内閣・裁判所・地方自治などがいったい何をしているのか? 自分とその派閥と子分などのことばかり考え、庶民のためには形だけの努力をするだけで、裏ではさまざまな操作で庶民から税金をいかに多く取るかしか考えていません。自分たちのことを考えてもらいたいのなら多額の政治献金でもしないと無理でしょう。
以上の事柄については、これまでのこのシリーズの中で私なりの「主張」をしてきました。
しかし、「戦争の放棄と戦力の不保持」を定めているにも関わらず、どう見ても“戦力”を保持する“軍隊”としか見えない自衛隊を持ってしまったことに関しては、これまで何も「主張」しないできました。
触れるのが難しい問題ですし、私自身、「これだ!」と声を大にして「主張」できるような明確な意見を持てないでいたからです。いや、今も持てないでいます。
ので、ここでは、自衛隊の問題について、現在の私が考えている意見を「主張」します。
完成形ではないので、このページに関しては、今回アップした後も時間を見付けて修正したり付け加えたりの作業をしていくことになるかもしれません。
そんな未完成品ですが、これまで主権在民のことや基本的人権の尊重に関わることで「主張」してきた経緯から、平和主義に関してもひとつ書かなくてはいけないと考え、以下を書く次第です。
自衛隊は、実は私の身近に存在します。
私の住む町には自衛隊の駐屯地があり、山側には立ち入り禁止区域があり、そこでは毎日のように演習が行われています。
朝の8時になると演習は始まり、ドカーン…、ズズーン…という大砲か何かの音が町中に響き渡ります。以前の借家は凄いボロだったせいか、室内にいてもそれら大砲の音が大きく聞こえました。いや、そんなナマやさしいものではなく、家全体が震えました。タクシーの夜勤をしていたころは朝から夕方にかけて寝ていたので、毎日のその砲声のせいで眠れない日もあったほどです。
そして、当然のことながら自衛隊の職員というのか隊員というか、とにかく自衛隊に勤めている人がたくさん住んでいて、自衛隊員が退職して退職金で立てられた立派な家もたくさんあります。子供たちの友達の親御さんが自衛隊というケースもたくさんあり、その中には国際貢献とかでイランだかどこだったかに行ったお父さんもいました。
以前の借家の大家も元自衛隊員で、いま通っている合気道教室の師範も元自衛隊員であり、そのほかにも門下生には自衛隊の人が多いようです。息子が小学校のころ習っていた空手の先生も自衛隊の人でした。
また、ウツ治療のため通う病院は駐屯地のすぐ隣にあり、病院からはズラリと並んだ輸送車などが見渡せます。
自衛隊はそれほど私の身近に存在します。
平和主義に基づく戦争の放棄について定めた日本国憲法の第9条では、その第1項でこう述べています。
「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と。
また、第2項では以下のように述べられています。
「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」と。
この「平和主義」は、前述したように日本国憲法の三大原則のひとつです。
軍備、戦力の保持を放棄したこのような条文を持つ国は、少なくとも先進国にはないはずです。
私はこの「9条」が好きでした。これこそ日本の力だ、とさえ思ったことがあります。戦力を放棄した日本は、平和憲法の普及大使になる資格を持つ唯一の国だと思い、戦力放棄を主張して全世界を回ってほしいと考えたものです。
ちなみに、核軍縮は絶対必要ですが、核だけ縮小させてもダメだと私は思います。思い切って全世界のすべての国が戦備をすべて放棄してくれれば一番いい。そしたら核をどうするなんて議論などしなくてよくなります。
それと、アメリカのように莫大な核戦力を保有する国が、例えば北朝鮮やイラン等に「核開発をするな」と言うのは説得力皆無です。背景に核戦力があるから効果的だという考えもあるでしょうが、それってまるで暴力団の脅しの手口と同じですね。国が暴力団と同じことをしているなんて、冷静に考えればホントにヘンですよ。低次元すぎます。そうは思いませんか?
「核開発をするな」と言うその役目は、戦力放棄を謳った憲法を持つ日本にこそふさわしいと私は思います。
またガキんちょみたいなこと言いはじめた、と呆れる人もいるだろうな。でも、どうぞ呆れてくださいと言いたい。呆れているあなたのほうが、このケースに限ってガキんちょだと思うので。
肩で風切って歩くチンピラ、サングラスをかけた若いモンに高価なベンツを運転させて悠々とススキノの自分のビルに出勤する組長、カツアゲするのに適当なヤツはいないかと目をキョロキョロさせながら両手を体から大きく離してその両手をゆっくりと振りながら胸を張ってガニマタで歩く悪ガキども…。そういう連中に共通しているのは、「オレは凄いんだぞ」と態度で主張していることである。チンピラや悪ガキどもは、自分の体を大きく見せて、「オレは強いんだ」とみんなに見せ付けようとしているわけだ。親分は高級ベンツという乗り物と、しかもそれを自分で運転するのではなくサングラスをかけた強そうな若いモンに運転させることでハクを見せつけようとしている。動物は敵に出会うと自分の体を大きく見せて敵を撃退させようとするものが多い。それとそっくりである。“力”を主張し“力”で生きている連中は動物に近いのだろう。つまり幼稚ということである。
大組織の親分ともなると見た目は会社の重役みたいでマトモに見える人もいるが、親分や幹部の多くは前記のハクを「これでもかこれでもか!」と付けて人々の前に姿をあらわし、消えるときもハクを落とさないようにする。例えばススキノのナントカ興業(こういう名前の合法的な会社を作って、手下どもにやらせている風俗店を自社ビルに詰め込み、どんどこ儲けている暴力団が多い)のビルにご出勤した親分のお帰りとなると、いわゆるカラス族(たいてい黒のスーツを着ているのでこう呼ばれる。甘い言葉で女性に話し掛け風俗店で働くよう誘う連中)がそこらへんから瞬時に集まり、ベンツの前にガードレールのように整列し、数人が路上に出て走ってくるクルマを全部停止させ、ベンツの運転手にOKサインを出す。するとベンツはカラス族が整列した間をスーッと美しく走り去る。カラスの兄ちゃんたちは「お疲れさまでしたッ!」と叫びながら深々とお辞儀をして親分を見送る。タクシー運転手をしていたころ、私は毎日のようにそういう光景を見ていて、何という傍若無人な連中なんだろうかと腹が立ってしょうがなかった。そして、暴力団の資金源になっているその風俗店いっぱいのビルが大繁盛し、構成員や準構成員等のカラス族によって毎日何人もの若い女性が口説き落とされて暗黒の世界に連れ去られるのかと思うと、何とかならないものかと歯ぎしりするくらいに悔しかった。
こういう連中は見た目が物騒なのですぐ「悪い連中なんだな」「悪いことしてるんだな」とわかる。しかし、国対国となると、その代表たちは見た目は何とも紳士的である。そのくせウラでは恫喝外交をしているのである。つまり、「オレんとこは核弾頭100万発持ってんだよ。あんたのとこはどう?」とか暗に言って相手国の代表を脅したりしているわけだ。それのどこが暴力団と違うのだろう? そっくりというより、まるで同じではないか。
ところが、日本は自衛隊という軍隊を持ってしまいました。
この「9条」を何度読んでも、自衛隊が存在していいと判断できる字句は見当たりません。
私は、自衛隊を作って存続させているのは明らかな憲法違反だと思っています。
自衛隊は、アメリカからの圧力があって最初はナントカ警察隊みたいな名前で発足し、その後、自衛隊と名を変え、戦闘機も戦車も戦艦もミサイルも、核以外の“戦力”は何でも持ってるぞという正真正銘の“軍隊”になりました。
自衛隊の発足は、朝鮮戦争が起こって危機感を持ったアメリカが日本を“戦力”のある防波堤にするため日本政府に要求して作らせたものです。大平洋戦争が終わったときは日本に“平和憲法”を要求し、共産主義国家が台頭してきて脅威を感じたら、今度は急転回して憲法を無視した“軍隊”を持たせるなんて、何という勝手で気ままな国なんでしょうか、アメリカは。
朝鮮戦争が終わっても冷戦が始まり、ソ連・中国・北朝鮮といった共産主義や社会主義国家と、アメリカを中心とする自由主義陣営との対立が続きました。
ソ連が崩壊し冷戦が終了しても、世界各地で紛争は続き、アメリカと日米安全保障条約を締結している日本はアメリカの求めるままに自衛隊の拡大充実に努めてきました。
日本はアメリカの子分としてNATOの一員として、軍隊としての自衛隊を手放すなんてもうできない状態に追い込まれています。
まったく残念なことです。
しかし最近、私は、すでに存在してしまっている自衛隊を消滅させるのは無理だとオトナの考えをするようになりました。
冷戦は終わりましたが、北朝鮮のような国がまだ存在する限り、この日本を守る何らかのシステムは必要だと考えるようになり、そのシステムとして自衛隊を利用すればいいと思うようになったからです。
ただし、それには条件が付きます。
名前の通り、戦力を“自衛”だけのものに絞るのです。
具体的には“迎撃”戦備と、それに附随する戦備だけにして、あとの戦力は除くのです。
去年だったか一昨年だったか、北朝鮮がミサイルを日本海に向けて発射したとき、日本側は発射されたそのことさえ瞬時にキャッチできなかったことがありました。
「ウソだろ?」と私は思いました。「核ミサイルが飛んできたらどうなるんだよ?」
「これじゃ、自衛隊とは呼べないじゃん。自衛隊ならその名前にふさわしく自衛のためだけの戦備を整えるべきで、それがないなら存在価値はないんじゃないか」
私はそうつぶやいてマジで呆然としました。
迎撃に限って戦備を持つなら自衛隊を認めるべきだなと思ったのはそのときからです。
しかし、改憲は必要あるかどうか…。
冒頭で少し書いたように、改憲して自衛隊を名実ともに“軍隊”だと認めてしまうと、次に議論にのぼるのは“徴兵制”のことだと思います。
もし“徴兵制”が憲法の中に明記されてしまえば日本は昔の軍事国家に逆戻りしかねません。
私は、9条に“但し書き”を付けるだけでいいと考えています。
その“但し書き”には「迎撃に関する戦備に限る」と明記するのです。
現代の戦争のやり方なら、敵がまずやるのはミサイルを飛ばすことでしょう。
これを正確に迎撃して無力化するだけの戦備があれば十分ではないでしょうか。
例えばもし北朝鮮軍がミサイルを撃った後に攻めてくるとすれば、日本海の上を戦闘機で飛んでくるか日本海を戦艦等で進んでくるでしょう。
それらの戦闘機を迎撃するシステムも作るのです。日本の最先端技術なら可能ではないでしょうか。
戦艦も同じようにして沈めます。これは迎撃と言ってよいのかわかりませんが、レーダーでキャッチしたらミサイルを撃って沈めるのです。
潜水艦が来ても同じように日本海の途中で破壊します。
つまり、敵軍をひとりも日本に上陸させないのです。
そういうシステムをつくればいい。日本の技術力なら可能だと思います。
そうすれば、値段を聞いただけでびっくりしてアゴが外れる戦艦も戦闘機も戦車も買う必要はなく、作る必要もなくなります。
これまでの自衛隊は、それらを莫大な国家予算を使ってしこたま買い集めたり作ったりし、いったい何を考えていたのでしょうか? ただ単に「立派な軍隊として認められたい」という理由で一通りの軍備を整えたのだとしたら、恐るべき税金の無駄遣いと言わざるを得ません。
それとも、アメリカに「買え」「作れ」と言われたからそうしてきただけですか?
立場の弱い日本がアメリカの言う通りにせざるを得ないのはわかりますが、必要ないものをごまんと買わせられるなんて、アメリカの軍需企業を儲けさせただけで、日本にとってはとんでもない無駄遣いだったと思います。
と、いろいろ書いてきましたが、 本心では「世界中から軍事力をなくすべきだ」と私は思っています。
どうしても戦争したかったら、その国の大統領とか王様とか首相とかが1対1で殴り合えばいい。それでも野蛮だというのなら、雪合戦か何かをして争えばいいと本気で考えています。そのためのリングかコートを国連ビルの中に設置し、そこで勝敗を決めればいいと思います。
人を殺さずに済む方法をなぜ考えないのか私には不思議で仕方ありません。
それなのに自衛隊を容認するかのような発言をしたのは、国連ビルの中にリングやコートを設置してもキムくんなどは隠れて出てこないと思うからです。
そういうバカな国がすぐ隣に存在し、しかも核開発などをしているわけですから、日本としては極楽トンボのようにぽやんとしているわけにはいかないでしょう。
少なくとも核ミサイルが飛んできたときのために迎撃できる体制だけは整えておかないと、万が一の場合、日本政府は日本国民を守れません。
そういうことを想定して自衛隊を条件付きで認めたいのです。
おそらくキムくんは核ミサイルを本気で使う気はないでしょう。テポドンを盛んに打ち上げたり核開発をしているのは、国際社会の中でうまく立ち回るためのカードが欲しいからでしょう。
しかし、あの人のことですから、急に怒り狂って発射ボタンを押してしまうかもしれないし、彼が押さないでも、彼の忠実すぎる部下たちが「我らの将軍様と国のため」とか叫んでボタンを押してしまう気がしませんか? 私はするのです。
だから、自衛隊が迎撃システムを持ち日本海側に迎撃設備を作るのはやむを得ないのではないかと私は思います。
ただ、迎撃なんて簡単にできると私は思っていましたが、そうでもないようですね。熱線追尾式のミサイルがあると聞いたことがあり、だったら迎撃は案外簡単にできるはずだと私は思っていたのですが、アメリカでさえこの迎撃システムは研究途上のようで、この前、ハワイ沖で迎撃実験をして成功したことが大きなニュースになったことを考えると、迎撃はかなり難しいことなのでしょう。まあ、音速の数倍のスピードで飛んでくるミサイルを正確に打ち落とすのですから、考えてみれば簡単ではなさそうです。
それと、迎撃システムに欠かせないと思うのは偵察衛星やイージス艦やアンテナ基地といった、ミサイル基地の場所やその動きと、発射の瞬間を間違いなく捕らえることのできるものです。偵察衛星はアメリカに凄いのがあるので日本は飛ばさなくてもいいかもしれませんが、だとしても、アメリカのその衛星写真をアメリカと同時くらいに入手できるようにしてもらいたいものです。そして北朝鮮などからの攻撃を未然に察知し、いざというその瞬間を絶対に見逃さない完璧な施設とシステムを整え、何がいつ飛んできても即座に迎撃できるようにしてくれないと、私たち国民は安心して眠れません。
私の住む町で早朝からドカーン、ズドーンとやってるそんな兵器などどこで使うのですか?
そんな兵器も演習も無駄であり、税金の物凄い無駄遣いです。
戦車? これまたどこでどのように使うのですか?
戦艦は少し必要かな。まずイージス艦は必要でしょう。巡洋艦も必要でしょう。しかし、戦艦はどうでしょう? 必要ないのではないでしょうか。
戦闘機も少し必要でしょう。敵機が領空侵犯してくる恐れがありますので。でも、空母は必要でしょうか? 必要ないと思いますが。
戦闘員? それはもう最少限でいいと思います。少なくとも陸軍はいらないのではないでしょうか。
となれば“徴兵制”なんて無用です。
であれば、9条に“但し書き”を付けて自衛隊をある面にのみ限っての“軍隊”と認めることに私は賛成です。
迎撃一本槍!
これで十分ではないでしょうか。
ただし、キムくんが死んだりして北朝鮮が崩壊して、テポドンも核開発施設もぶち壊す新しい国に生まれ変われば話は別です。
“迎撃”システムと設備も不要になるので、自衛隊の存在理由を私は見出せなくなります。
その場合、私は憲法9条の改憲に無条件で反対します。自衛隊の存続にも反対するかもしれません。少なくとも、陸軍、海軍、空軍と一通りの軍備をセットで持つ必要はないと主張すると思います。
周囲の連中が軍備を充実させているからといって自分も軍備を固めていったら、いつまで経ってもそのイタチごっこは終わらず、世界中、ミサイルや戦闘機や空母や戦車だらけになりますよ。
それで儲けてウハウハいうのは軍需産業だけで、多くの人々はそのために高い税金を払わせられて、そのうえに、いつ攻め込まれるのかとか、いつ赤紙が回ってくるのかとか、戦々兢々としなくてはいけないのですから、こんなアホな話はないでしょう。
もっとオトナにならないとダメですよ。
ぎゃははは! 言ってみたかったんですよ、この言葉。ああ気持ちすっきり!
でも、マジでそう思いませんか?
軍事力を持つことでニラミをきかせそれを戦争抑止力にするという発想は、“力”や“凄み”で相手を圧しようとする幼稚な子供や暴力団と変わりませんよ。
それを国の規模でやると誰も不思議に思わないというのはヘンですよ。
殺人をすると罪になるのに戦争で人を殺すと勲章をもらうみたいなものです。
冷静に考えたら誰だってヘンだと思うようなことはもうやめましょうよ。
事は人命を大きく左右することなのですから。
国際貢献で自衛隊を出動させるのにも私は反対です。
アメリカが勝手に起こした戦争の尻拭いとかにどうして日本の自衛隊が行かなくてはならないのか?
日米安保があるから?
アホくさっ。
「我が国の憲法はすべての軍事行動を放棄する平和憲法です。だから自衛隊を戦地に派遣することはできない。悪しからず」と、なぜ堂々と主張できないのか?
日本の政治家はまったく情けない。
私のこの「主張」は間違っていますか?
メニュー | 喘息VOICE | 喘息TOPICS| 喘息のバカやろう | 喘息でも元気だ | 喘息の吐息 | 早わかり"喘息" | リンクページ