〈オジサンの主張〜その2〉
●オジサンの主張〜その2
〈「君が代」が嫌でも大人であれ〉
(4.15/09)
ショックなことがありました。高校3年の息子が「“君が代”は歌ってダメな歌だと思っていた」と言ったからです。しかも、そう教えたのは小学校の先生だというのでさらに驚きました。
彼が担任の教師からそう言われたのは7、8年前のことです。昨今の小学校ではどうなっているのかは知りませんが、“君が代”を国歌と認めない動きが教師たちの間で始まったことは覚えています。今でもそういう動きは活発なのでしょうか?
そのように考えること自体を非難するつもりはまったくありません。信念があってのことでしょうし、個人の好きずきに対して文句を言うつもりもないからです。
「好きずきとか好き嫌いなどという低次元の問題ではない」と怒られそうですが、敢えて言います。そんなことを主張するのなら、教師という立場ではやめるべきであり、主張はあくまで個人に戻ったときに学校とは関係のないところでやるべきだ、と。どうしても教師の立場で教育として主張したいというなら、セコイ方法でなく堂々とやってもらいたい!
“君が代”を国歌として認めない人たちの気持ちはわかるつもりです。
“君が代”の「君」は天皇を意味しているのだし、その天皇のために何百万という日本人が死に、天皇のためという合言葉のもと日本人は他国にまで多大な損害を与えました。“君が代”はまさしく軍国主義を象徴するもののひとつであり、戦後、天皇が人間宣言を行って名実ともに象徴になったとはいえ、“君が代”という題名の国歌を歌っていると、この国を相変わらず天皇の国だと認めることになり、忌わしい軍国主義が再来するように思ってしまうのも無理はないと思います。
だから、国歌を作り替えるという考えはいいことかもしれません。それで忌わしい過去と訣別でき、真の民主主義国家が生まれるのだとしたら、そんなにいいことはありません。
私個人は“君が代”も“天皇家”もただ利用されただけで、むしろ犠牲者だと思っています。それなのに今の皇室は戦争責任を一身に背負うがごとく努力していると私は感じています。民間から皇室に入った美智子様までがその努力をしているのです。そんな彼らを私は尊敬しています。“君が代”だって、明治の世になって国歌が必要だと知った薩長の顕官の誰かが確か薩摩かどこかの民謡のような歌をいきなり国歌にしただけのもので、あの歌自体には何の責任もないのです。
それでも“君が代”を嫌うなら嫌うのもいいでしょう。国歌を摺り替えるだけでそんなに事が簡単に運ぶとは私には到底思えませんが、それで気が済むのであれば反対はしません。
ただ、そのつもりが本当にあるのであれば、全身全霊を懸けて“君が代”撲滅に向けて努力してください。
入学式や卒業式の国歌斉唱のときに、「起立」という声がかけられているのに起立もしないで座ったままで“君が代”を歌わないだけでは何も変わらないでしょう。
そんな駄々っ子みたいなセコイ方法で抵抗をするだけで「努力している」なんて誰も認めませんし、何も変わらないでしょう。
だいいち子供たちに笑われますよ。
「子供の教育に悪影響を与える」と心配する親も多いと思います。私もそのひとりです。ですから、子供たちへの影響を考えてほしいと思います。
教師は生徒の模範となるべき存在です。その模範たる先生たちが、式典の国歌斉唱のときに「起立」と言われても立つこともなく座ったままで、しかも「斉唱」なのに一緒に歌わないのを子供たちはどう見ているのでしょうか? そして、そのことで何を感じ何を考えるでしょうか?
イヤなことはああいうふうにして無視していいんだ。イヤなことはやらないでいいんだ……そう思って、イヤなことをサボる子になったらどうするのですか?
それでも仕方ないとでも言うつもりですか?
何か異様な雰囲気を感じて心に暗いシミを作ってしまう子もいるでしょう。子供たちにそんな影響を与えてもかまわないと考えているのですか?
まさかそう考えてはいませんよね。そんな考えを持っているとしたら教育者には不適ですから。
だとしたら、もっと大人の対応をしましょうよ。
文部科学省の圧力検定をパスしたウソ八百の歴史教科書をそのまま教えなくてはならないジレンマに悩み、バカな生徒や親を思い切り叱ることもできないという辛い現実の中で、教師の皆さんはよく頑張っています。
抵抗のしようもない巨大な国家権力の圧力の下で日々の授業を行わなければいけないなんて、私だったら耐えられません。生活の心配も老後の心配も二の次というバカな私なら冗談でなくて3日で辞めるでしょう。それを耐えているのですから立派です。
立派ついでに、ひそかにでいいですから、生徒全員が立派な日本人になるよう教育してあげてください。
「この教科書には日本が侵略してないように書いてあるけど客観的に見てあれは侵略です」
「戦争は大量殺人をおかす大犯罪です。どんな名分があっても君たちは決して戦争なんかしてはいけない」
「徴兵されても戦地に行くな」
「“君死にたもうなかれ”と家族を泣かすようなことはするな。そんな必要はないんだ。自分の命を国家に捧げる人が偉いなんて先生は思わない」
「本当に偉い人は巨大な権力に正面から立ち向かって庶民のため、か弱い子供たちのために一歩も退かない人です」と、泣いて生徒たちに語りかけてくださいよ。
そして、「“君が代”の“君”はまさしく君たちを意味しているんだ。この歌を悪用して国民を地獄に落とした政治家や軍部が昔のこの国にはいたけど、そんな悪い人が現れても君たちは騙されないでください。何が本当で何が間違っているのか、よく考えて、間違った考えには決して賛成せず、間違っている人たちを正しい道に引き戻してあげてください。そして、みんなが安心して暮らせる素晴らしい国を君たちの手で作ってください」と、金八先生でも熱血先生でもいいからやってくださいよ。頼みます。
どういう事情があるにしろ、今はまだ“君が代”が日本の国歌なのであり、日本の国歌はこれしかないのです。それが現実なのです。
これを認めないとしたら、オリンピックやWBCやワールドカップに出る選手たちはどうすればいいのでしょう?
演奏される曲がないまま試合を始め、勝利しても国歌を聴けずに帰ってくるのでしょうか。それでいいのですか?
自分の教え子が将来、オリンピックに出て金メダルを取ったとします。表彰式では国歌が流れますね。それを「聴きたくない」からとあらぬほうを見て時間を潰したりしたら、金メダルにふさわしい選手に見えますか?
少なくとも、そんなヘンな国の選手が表彰台に上がったら、世界各国の観戦者たちは「何というおかしな国なんだ」と感じると思います。
自分の好き嫌いを生徒たちに、しかも授業中に押し付けるかのように言うのはやめましょうよ。
「押し付けていない」と教師たちは言うかもしれません。だいいち“君が代”が悪い国歌だなんて、小学生に説明しても正確に理解してもらうのは困難でしょう。それはわかります。
けれども、小学生の立場になって考えてみてください。授業中に先生が真剣な顔で「“君が代”は歌ってダメな歌なんだ」などと言えば、純真な子供たちは「そうなのか」と素直に受け入れるでしょう。それも“授業”の一環であり、先生の教えなのだと受け止めるのではないでしょうか。
実際、うちの息子は「“君が代”は悪い歌なんだ」と今まで信じて疑わないで生きてきたといいます。そのため学校の式典ではこれまで一度も“君が代”を歌わなかったそうです。それが当然であり正しいと信じていたのです。
それで私は驚いてショックを受けてしまったというわけなのです。
今回のWBCで試合前には必ず両国の国歌が演奏されました。選手たちの多くは帽子を取り、それを胸に当てて演奏に聴き入っていました。
日本人選手の中には帽子を胸に当てない人がいて、小笠原のようにガムをクチャクチャかみながら演奏を聴くというブザマな態度を見せた選手もいました。
しかし、他国の選手たちは真摯な態度で演奏に聴き入っていました。
小笠原がなぜガムをかんでいたのかは知りませんが、厳粛であるべき場であんな態度を取るのはサムライとは言えません。せいぜい野武伏(のぶせり=山賊のようなもの)だと言われても仕方ないでしょう。
自分の教え子にあんなみっともない態度を取らせたいのですか?
“君が代”がどんな歌であれ、自分の生まれた国の正式な国歌であり、その歌に誇りを持ってほしいと私は個人的には思っています。だから息子の発言には本当に驚き、心底ガッカリしました。
でも、“君が代”の歌詞の概要とこの歌が国歌になった経緯、そしてこの歌には何の責任もなかったのだということを彼にはざっと説明したので、“君が代”に対する彼の見方はだいぶ修正されたようでした。ひと安心です。
自分の国の国歌に誇りを持てないというのは、自分の生まれた国に誇りを持てないのと同じと言ってもいいと思います。
私は戦時中のように「お国のために死んでほしい」なんて考えているのではありません。そのことは誤解しないでください。
私は、国民にとって国家は重い存在であってはいけないと思っています。それが、第二次世界大戦のことを知って学んだ私自身の考えです。
今の日本という国が愛される資格を持つ良い国だとは思いませんが、だからといって「国を愛する必要などない」とか「国を愛するってことは愛国心に通じて昔の軍部独裁の時代を招くからいけないことだ」なんて言うつもりはまったくありません。
軍部独裁の時代を招くなんて考えすぎですよ。冷静になりましょうよ。
軍部独裁という事態を招いたのは、遠くは明治政府が自分たちの政府を権威付けするために天皇をかついだことから始まって、近くは大日本帝国憲法の統帥権を拡大解釈して軍部が独走しはじめたためです。天皇には何も責任がありません。むしろ被害者と言えるでしょう。
誰かがまた天皇をかついで軍国主義を復活させるという危惧を抱いている気持ちはわからなくはありませんが、ちょっと考えすぎだと思います。もしそういう怖れがあるとしたら、天皇をかつごうとする連中をどうにかすればいいわけで、天皇制を否定する必要はないと思います。
戦後にできた日本国憲法で明記される以前から天皇は象徴でした。平安朝以前は天皇が権力を持つこともありましたが、後醍醐天皇を別としてそれ以後の天皇はどう見ても象徴でした。実際に政治を行うのは武家という時代がずっと続いたのです。
つまり、一番上に象徴的な天皇を置き、その下で別の誰かが俗界の政治を行うというシステムです。このシステムが続いたために日本には独裁権力者が生まれなかったのではないかと私は考えています。織田信長や井伊直弼といった独裁者は出ましたが、彼らのような専制権力者はみな暗殺されました。日本では、一番上に俗界の権力者が座ることを嫌う傾向があるのでしょう。かつぎ上げても実害のない天皇を象徴的権力者にすることによって、日本人はどこか安心できるという生理を持っているのだと思います。
日本人にとって天皇制は安全弁のようなものなのではないでしょうか。危険な独裁者を出さないための知恵なのかどうか、ともかく日本人は天皇を一番上にかつぎ上げることによって、国家が悪い方向に突き進むのを結果的に防いできたのです。
そう考えると、天皇制を廃止してしまうと、誰かが独裁権力を持ってのし上がってくることが考えられます。そのほうが危険ではないでしょうか。北朝鮮のような国家が生まれるような気がして私は不安になります。それこそ軍部独裁体制の国になってしまいますから。
そんな国にならないようにするためにも、天皇制は残したほうがいいと私は思います。日本に適したシステムだと思うからです。
狂信的な天皇絶対主義者なんてもうほとんどいませんよ。今の皇室なら、変なやつにかつぎ上げられても抵抗する姿勢を持っていますよ。世論がそれを許しませんよ。
だから「愛国心は軍部独裁を招くから悪い」とか「天皇制はその元凶だから廃止せよ」なんて意見はピント外れだと思います。
愛国心という素敵な気持ちを、そんなふうに曲げて意識させる必要などないと私は思います。
私は、子供たちには、自分の生まれた国を愛せる素直な人間でいてほしいし、そういう素敵な大人に育ってほしいと願っています。
それが人間の自然な感情だと思うからであり、そういう感情のない若者ばかりになったら、「自分の生まれたこの国をいい国にしたい」と真剣に考えて努力する人材がいなくなり、いても周りからよってたかって排斥されてしまい、国は滅びますよ。
この国を滅ぼすことなく、住みよい素晴らしい国にするのは、本物の素直な愛国心を持つ人間でしょう。そう思いませんか?
教え子がそんな素敵なやつに育つことを願うのが教育者であり、そのように育てるのが教育者の大切な務めではないでしょうか。
生意気書いてすみません。
ただ私は、豊かになりすぎておかしくなってしまったこの国を、これからの若者たちの手で根本から作り直してほしいという思いが強くて…、それでつい偉そうなことも書いてしまいました。
お気に障ったらお詫びします。
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