〈吾、北海道を思う〉

●吾、北海道を思う (10.30/98)

 先ごろ、北海道の新しいイメージコピーが公開された。「試される大地」だという。民間に広く募集して集まったコピーの中から選ばれた。
 このコピーには賛否両論があるらしい。いわく「北海道への期待が込められていて感じがいい」、いわく「北海道が見下されているようで気分が悪い」。私はこのコピーを聞いたとき、「もうやめろ!」と思った。
 これから私がここに書くのは極論かもしれない。しかし、この大不況のとき、差し障りのないことを言っても仕方がない。私の考えるような極論も必要なのではないか。いや、このようなドン底時代からこそ、極論が必要なのだと思う。だから私は、私の考えるままに言いたいことをそのまま書く。読んでいて気分が悪くなる方もいると思う。だからお断りしておく。嫌な予感がする方はこの先を読まないでほしい。
 私は北海道出身ではない。そんな人間が北海道についてあれこれ言うなと言うなかれ。北海道民はこれまで北海道という大地に何をしてきたのか。ただ開発してきただけではないか。人が住むために開発は必要だったであろう。しかし、やりすぎたとは正直思わないのか。正確に言うならば、開発してきたのは主に道外の人々であったろう。道民は彼ら開発業者や役所を歓迎した。それに乗っかって生きてきた。今もそうである。
 私は北海道出身ではない。28歳のときにこの大地に移り住み、以来、13年が経つ。その間、私はこの北の大地を隅々まで巡りつづけた。4WDに乗って奇岩の続く海岸を走り、火山灰が形作った大丘陵地帯を突っ走り、大牧草地帯を縦走し、オオカミの出そうな原始の森に分け入り、太古の姿をとどめる湖の畔にしばし仮泊し、生まれてはじめて見る天の川を見上げて感動した。その感動は、13年経った今でも色褪せていない。同じ土地に立てば13年前と同じく感動する。
 残念なことに、多くの道民は北海道の大地に感動したりはしない。札幌などの主要都市以外の土地は都市化が遅れ、都会の生活と比べると不便な土地はまだまだたくさんある。道路の整備も遅れている。鉄道やバスも、地方に行くほど便が悪くなる。勝手気ままにエゾシカが道路を横断し、裏の畑にはヒグマが出没する。そのうえ気候が厳しい。夏は過ごしやすいが冬は厳寒で辛い。冬の朝の除雪はものすごい重労働だ(喘息患者には絶対無理)。そんな土地に感動している暇はない。家族を守り、生活していくのが精一杯だ。便利で快適な暮らしを道民が求めるのも無理はない。開発を望む気持ちもわかる。
 しかし、考えてみてほしい。自分たちの土地を暮らしやすくて便利で豊かなところにしたいのなら、自分たちでやればよいではないか。ノウハウがないのなら勉強すればよい。役所や本州資本にすがるのはみっともない。すがってくる道民の姿を見越して偉そうに乗り込んでくる奴らはもっとみっともない。こんな構図の開発がずっと続いてきた。もうこのへんでやめようよ。私はそう言いたい。
 だいたい、暮らしやすくて便利で豊かな土地にしたいと願って開発して、果たしてどれだけ住民の意に叶うものになるだろうか。ひと昔前までは開発が必須だったであろう。しかし今では開発してもただ単に町並みが美しくなる程度で、果たしてどれだけの効果が土地にもたらされるのか。
 北海道に渡って間もなく、私は北海道中央部の三国峠という場所でショックのあまり呆然としてしばらく立ち尽くした経験がある。大雪山連峰の裾野を旭川から東に登っていくと、やがて奇岩絶壁の層雲峡が現れる。層雲峡温泉を越えて石北峠の手前で南に折れる。当時は未舗装で、クルマを走らせると振動が激しくてクルマが故障するのではないかと心配するほどの悪路だった。そのまま土煙を上げてひたすら進めば裏大雪の上士幌へと出る。その手前に広がるのが十勝三股盆地である。私は道の脇にクルマをとめ、三国峠からその盆地を見おろした。一面に大森林が広がっていた。広い広い盆地が隅々までびっしりと樹木に覆われていた。よくよく目を凝らすと、その中央部をクネクネと細い白っぽい線が走っている。上士幌へと続く道路だった。人工的なものはそれしかなかった。最初はその雄大な景色にただ感動していた。しかし、しばらく経つとギョッとした。私は、これこそ太古の北海道の姿だと気付いたのである。牧草地や広大な畑が広がるのどかな北海道の景色は、恐るべきことに人間が作り出した景色だったのだ。
 北海道開拓の黎明期の資料を見ると、今の札幌あたりでさえ深い原生林に覆われていたことがわかる。おそらく道内のほとんどすべての土地がそうだったであろう。ヒグマは昔は平地に住んでいた。開拓が進むにつれて山地へと住みかを変えた。昔は平地にも原生林が生い茂り、ヒグマはそこで生きていけたのだ。しかし人間がどんどん木を伐り、原生林は畑や田に変えられていった。ヒグマは仕方なく山に登ったのに違いない。
 道内をクルマで巡ると、広い広い牧草地、延々と続くいくつもの丘をパッチワークする色とりどりの畑などがどこに行っても目に入る。これらはいかにも北海動的な風景だろう。その上に大きく広い空。ワンポイントは、ところどころに点在するわずかばかりの防風林と、今はもう少ないが赤い屋根のサイロくらいだ。これらの景色はみな人間が作ったのだ。
 開拓当時の資料を読むと、北海道開拓は想像を絶する難事業だったことがわかる。まず、まともな道がない。船で海岸に上陸すると、目の前はもう原生林だった。石狩あたりは泥炭の湿地帯で、徒歩で奥地に入ることはできなかった。石狩川を船で上った。そして目当ての場所で船を降り、アイヌの人々の案内で奥地へ分け入る。開拓地に指定された場所に着くと、そこは周りの場所とは何も変わらないただの原生林の一画にすぎなかった。そこで開拓民たちは大木を伐り、熊笹を焼き、まず小さな小屋を作る。そこに荷物を解いていよいよ開拓事業に入る。しかし家の周りは深い原生林。来る日も来る日も伐採に明け暮れ、ようやく種を蒔いても土壌が悪くて収穫はできないということもたくさんあった。役所からのわずかな配給を受けて厳しい冬を過ごす。この厳寒の土地で彼らが住居にしていたのは、信じられないことに板一枚の壁で作られた粗末すぎる小屋だった。すきま風は容赦なく吹き込み、室内の温度は外とあまり変わらなかった。真冬ともなれば零下の世界である。夜は囲炉裏に向けて布団を放射状に敷き、家族全員が囲炉裏の火に足を向けて寝る。それでも寒くてなかなか寝付かれなかった。朝起きると、口元に引っ張り上げていた掛け布団に霜がついて凍っているのが常だった。吐く息の水蒸気が凍るのである。
 このような状態はほんの数十年前まで道内各地で見られた。道内の住環境が一変したのは、気密性の高い住宅の建築技術と、効率のよい暖房設備が普及してからのことである。
 住環境の改善が進むより早く、開拓事業は機械化に入った。機械による開拓は北海道の景色を一変させた。鬱蒼たる原生林が瞬く間に禿げ地になり、土壌改良され、種が蒔かれ、畑になっていった。開拓事業は次第に奥地へと伸び、人跡未踏の森林さえなぎ倒され、家が建ち、畑や牧場になっていった。
 その自然破壊は開拓民にとってはどうしても必要なことだった。自分たちが生きていくには避けられないことだった。
 一方、国にとっても北海道開拓は重要なテーマだった。この大地と海を日本の食糧基地にするという構想があった。アメリカ並みの大規模農地を整備し、海からはサケ・マスをはじめとする豊富な海産物資源を得ようと考えた。開拓はその構想のもと進められたため、開拓民の募集や移民事業には国は非常に積極的だった。また国は、サケ・マス資源確保のためサケ・マス放流事業にも力を入れた。同時に北洋の漁場開拓にも力を入れた。サケ・マス資源の獲得は水産庁の重大事業と位置づけられていた。当時の日本は戦争ばかりしていたので、サケ缶をたくさん作って非常食を作ろうと役人は考えたらしい。
 しかし、大規模な開拓事業がひと段落して道民の生活がやや安定しはじめたころから、この大地で馬鹿なことが始まった。この大地を一大観光地にしようという動きが出たのである。ロマン溢れる北の大地、旅情をそそるアイヌ音楽の調べ、点在する秘湯の数々…。何をとっても日本離れしていて、観光地として整備すればその恩恵は道民を潤すことは間違いなかった。そして事実その通りになったが、そのため、牧農地として利用できない土地まで掘り返され、さして必要もない道路が各地に作られ、自然破壊はそれまでにも増して進み、森や林は次々と姿を消し、海産物資源は容赦なく枯渇していった。信じられないことかもしれないが、北海道産のサケやホタテ、コンブなどは今ではほとんどすべて養殖物である(ある程度まで育てて海に放流してから捕獲する増殖も含める)
 観光地化は、主に本州資本によって行われた。音頭を取ったのは北海道庁と国である。国は北海道開発局という出先機関を使って開発に力を入れた。ここでも役人たちがリードしていた。このことが、自然破壊とは別の大きな問題を残した。
 北海道の農地化と観光地化によって生じた土木建築事業は、膨大な数の道民を駆り出す結果となった。開拓や観光地化がひと段落しても、それまで各現場で働いてきた人々を「お役ご免」と放り捨てるわけにはいかなかった。雨後の竹の子のようにできた土木建築業者、その社員や日雇いの人々に仕事を与えるため、国は北海道開発局を使って、いわゆる公共事業をどんどん行った。北海道の土木建築業者の数は、全国的に見ても異常なほど多いという。それは、これまでの強引すぎる開拓や観光地化事業のツケにほかならない。
 今、空前と言われる大不況が日本に訪れている。北海道の不況はその中でも特にひどい。私事になるが、私もこの不況で生活が破綻しそうで苦しんでいる。だから不況は早く過ぎ去ってほしいと思っている。それは本音だが、しかし、いや待てよと思うようになり、今ではこの不況はいい機会だと思うようになった。
 数年前にバブルがはじけて以来、私は日本の将来についてこれでいいのかとよく考えるようになった。このままではこの国は駄目になるのではないかと気になりはじめた。私も含めてのことなのでこれは自省を込めての述回になる。日本人は豊かになりすぎたのではないかと思いはじめたのだ。豊かさに慣れ、どこかで大事な一線を越えてしまったのではないか、越えてはいけない一線を跨いでしまったのではないかと思うようになった。
 昔の貧しい時代を思い出す必要があると思った。しかし、一度豊かな生活に慣れてしまえばそれは難しい。だったら、有無を言わさず全国民を貧しい生活に転落させてしまったらどうか。そのほうがいいのではないかと本気で考えはじめるようになった。
 日本は世界的にも経済的大国になり、各国は日本の経済復興に過大な期待をかけている。それに応えるのは国際社会の一員として必要なのかもしれない。しかし、日本は今、果たしてそんなことをしている場合なのだろうか。今は自分の国の行く末をしっかりと見つめ、この日本に本当に必要なことをすべきではないのか。そのことを諸外国にきちんと伝え、利己的だと言われようとどうしようと、今はこの日本を救うべきだと私は思うようになった。
 誇張ではなく、日本は今、重大な局面に対峙していると思う。みんなの生活が苦しいから重大な局面だというのではない。いつの間にか日本民族(日本に住むすべての人々)は道をそれた。高度成長期の時代を経て身に付いた経済成長志向のまま、これからもさらに上に向かって進もうとしている。経済的に豊かでないと気が済まなくなっている。これでいいのか。私はその方向で進むことに危険を感じる。ローンを抱えて二進も三進も行かなくなっているような状態で、さらに借金したらどうなるのか。宝クジに当たりでもしなければ、破産しか道はないではないか。その意味で私は、いま日本は重大な局面にあると考える。
 いま必要なことは、日本を元の道に連れ戻す作業なのではないか。幸いというべきかどうか、日本は今、ドン底不況のまっただ中にある。この機に、ドン底にあることを真に自覚し、日本人すべてがドン底生活に身を委ねたほうがいいのではないか。経済復興などかなぐり捨てて、低成長に甘んずるべきではないのか。大真面目で発展途上国の仲間に入れてもうべきではないのか。
 私はそうすべきだと考えている。そこから、新しい日本が始まるのではないか。いや、始めなければならないと私は思う。
 その試験地として北海道はまさに最適だと私は考えている。具体的には、北海道の開発はもうやめるのである。どうしても便利な土地に住みたい、もっと儲けたいと考えている人は本州に行く。北海道は亜寒帯に属し、冬は厳寒である。ここにはここに向いた生活の仕方がある。何も本州と同じように商業を発達させて札幌あたりは東京と同じようにしなくてはならないということはない。収入が少なくても、のんびり暮らしたいという人には最適な土地だと思う。
 道民はこの大地に大きく深い爪痕を残してしまった。今、そのツケを清算しなくてはならない。本気で清算すれば、あと数十年もすれば北海道は見事に生まれ変わるだろう。その素晴らしい大地とのびのびと暮らす人々を見て、道民以外の日本人は羨望を感じるのではないか。
 そう思わない人も多いと思う。そういう人はこれまで通りに経済成長志向で突き進むのだろう。それはかまわないが、少なくとも北海道に悪い影響は及ばさないでほしい。今の日本を見ていると、人間の行き着く墓場のようなものが見えてきて仕方がない。このまま進めば日本がさらに幸福になるとはとても思えないのである。
 「試される大地」? 経済成長志向から北海道をそう見るのであれば冗談じゃないと私は言いたい。しかし、これからの日本のあるべき姿として「試される大地」というのであれば私はこのイメージコピーを歓迎したい。
 今の日本はどっちを向いても、聞こえてくるのは「経済復興」「経済再生」の声である。とにかく景気が好転しないと駄目だと誰もがそう信じている。不況のままでは許せないらしい。果たしてそうなのか、それでいいのか、自問してみてほしいと私は思っている。
 これから試されるのは、北海道民に限らず日本人すべてなのである。そう、日本こそが試される時期に来ている。  


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