〈ジャーナリズムに苦言〉

●ジャーナリズムにもの申す!
(11.7/96)

●私は喘息になってジャーナリストを辞めた

 私はかつてジャーナリストの一員でした。一般の雑誌(情報誌)や地域のミニコミ誌などの編集部で働き、一時はある業界新聞を発行する会社にもいました。いま私はジャーナリズムとは関係ない運送の仕事をしています。 ジャーナリストへの未練はありますが、あの世界に戻らないほうがいいと考えています。その理由について書こうと思います。
 私がジャーナリストを辞めたのは喘息になったからです。無理を重ねて気管支炎をこじらせて喘息になった私を、会社は重荷に感じはじめました。それを察して私から辞めたわけですが、次の仕事を探すのにずいぶん苦労しました。嘘をついてもすぐにバレると思った私は喘息であることを正直に履歴書に書いてあちこちの会社に面接試験を受けに出向きました。どの採用担当者も、病歴の欄を見て仕事はきついが大丈夫かとか本当に治ってるのかとか聞いてきました。私は病歴として喘息と書いてはいましたが、完治して生活に支障ないまでになっていると書いていました。しかし採用担当者は誰もが不安げに私を見るのでした。結果はいずれも不採用でした。
 その後、私はフリーの編集者などをして生計を立てていましたが、会社勤めではないその生活は安定しませんでした。私は家族のため会社勤めを望み、再び就職活動を始めました。しかし、就職活動はやはり実りませんでした。ある面接担当者は言いました。「もし事務所やお客さんのところで発作が出たらどうします?」と。私は答えられませんでした。
 以後は、喘息であることを隠して就職活動を行いました。しかし、その罪悪感とともに感じざるを得ないことがありました。私の喘息は良くなる傾向は見られず、このまま就職したら会社に迷惑をかけ、仕事をまた失うことになるのではないかと。
 どんな仕事にしろ会社員であれば、発作が出たからといってそうそう会社は休めず、仕事中に特にオフィスで発作が出たりしたら会社が無用の不安を抱くのでいいことはありません。いくら薬を飲んでいても喘息の発作はちょっとしたきっかけ(例えば急に冷たい空気に当たるとか)で起こります。携帯用の噴霧吸入剤(気管支拡張剤)をタイミングよく吸入すれば発作はすぐにおさまることが多いとはいえ、時と場所を選ばずに発作に見舞われるので、いつもそううまくいくわけではありません。喘息であることを会社に内緒にしていればタイミングよく吸入することなど不可能です。私は会社勤めをあきらめることにしました。

●そして私は商業ジャーナリズムを見限った

 もう一度、フリーで編集の仕事をしようかとも思いましたが、私の知っている出版社や編集会社はどこも貧乏で、やっただけの収入を得ることは難しいと思ったので躊躇しました。さらに、ジャーナリストとして生きることに疑問を持ちはじめていたので、思い切ってほかのジャンルの仕事に転職しようと考えました。こうして選んだのが運送の仕事です。
 運送の仕事なら発作が出てもクルマの中に一人でいることが多いから携帯用の噴霧吸入剤をすぐ吸入できる―そう思ったのです。会社員になるよりもアルバイトのような比較的自由な立場で働くことができればなお吸入しやすいと考えた私は、運送のアルバイト募集を探しました。いま私は、そのような条件に近い境遇で運送の仕事をしています。発作が出たら休んで次の日に遅れを取り戻し、仕事中に発作が出ればクルマの中で吸入して発作に耐えています。そんな自由がきくので、しばらくはこの仕事を続けようと思っています。
 それはともかく、私がジャーナリストとしての生き方に疑問を抱いたのは、ジャーナリズムの世界があまりにも商業的になりすぎていると感じたからです。現実の金の計算に追われてジャーナリズムの理想を捨て、次第にそれがごく当たり前のことになっているといったこの業界のあり方に嫌気がさしていたのです。

●金のつかない記事はボツになる

 まず第一に疑問を持ったのは、いい記事を書いたからといってそれが必ずしも誌面に載らないという実態でした。
 要領のいいライターは取材と同時に営業もやって、書く記事に対して金をもらってきます。例えばおもしろそうな商品が出たというのでその発売元の企業を取材したとしたら、あんたの会社の商品をうまく紹介してやるから記事に対して広告料をくれ、とこう言うわけです。これは業界でいうパブリシティー、つまり記事体広告です。記事ではなく広告です。この場合、書いたもの(原稿やゲラ)を取材先に見せてチェックを受けます。一般の取材記事なら普通はこんなことはしません。ライターの責任でそれを発表します。それを取材先にチェックしてもらうのは、それが広告だからです。それをあたかも普通の記事のように扱って誌面に載せるのは、ほかの取材記事の内容に不信感を持たせる結果になりかねず、ひいてはその雑誌の存在価値を揺らがせることにもなりかねません。
 私は自分はジャーナリストなんだという意識を強く持ちすぎていて、だから金付き記事を病的に嫌いました。けれど、パブリシティーならまだ我慢できました。その記事の内容が読者にとっていい情報になっていればそれも存在価値はあると考えたからです。
 しかし、読者をまったく無視した金付き記事のほうがはるかに多かったのです。

●役人を利用してボロく儲ける

 読者を無視した金付き記事とは、例えば珍しくもない商品の紹介記事がそうです。金を取るためだけに何でもかんでも記事にしようとか、誌面を埋めるために金の付いた記事ならとにかく何でも載せてしまおうという考えがこういう記事を生みます。これはまだ可愛げがあります。
 もうひとつ、読者を無視した金付き記事にはこんな種類のものがあります。例えばどこかでダムが完成したとします。そうするとそのダムの簡単な紹介記事を書き、写真とともに記事にするのです。そのページには、なぜか何々建設だの何々土木だのという土建会社の広告がびっしりと入ります。そんなページ、どこかで見たことはありませんか? この手の記事がやたらと多いのです。雑誌だけでなく新聞でも見られます。
 このような記事を作るには、まず役所の例えば土木部といったセクションに取り入ることから始めます。ダム工事などの公共事業には入札制度があります。役所は、この制度によって予算内でいいものを作ろうとするのです。しかし、そうすると資金力のある大手土建屋にばかり仕事がいくことになりがちです。そこで土建屋さんたちは役所と相談し、大手も零細も一緒にして順番を決め、なるべく均等に仕事がいきわたるように受注先が決められるようにしました。このような習慣がいわゆる談合を呼んだのですが、それはここでは触れません。ともかく、そんな制度があります。受注先を決めるのは役所の担当者です。その担当者に対して、土建屋さんたちはさまざまな手を尽くして自分のところを贔屓してもらおうと努力します。 そんなことをしてもおおっぴらに贔屓されることは少ないでしょうが、何しろ相手は許認可権を持つお役人様なので土建屋さんたちはいろいろ考えます。だから土建屋さんたちは役所の担当者に頭が上がりません。この担当者に取り入ることから、前述のような妙な記事作りが始まるのです。
 まず編集スタッフは役人と仲良くなる努力をします。そのセクションの目玉事業とか担当の人物を記事で紹介したりしながら、その関係を深めていきます。そして多少の無理な願いなら聞き入れてもらえるようになったら、例えばそのとき進行している公共工事の話を出し、おもむろにこう言うのです。
 「課長(担当者は課長が多い)、ひとつ電話かけてくれませんか」
 たいていの担当者は渋ります。しかし、なかにはしぶしぶにしろ何にしろOKする担当者もいるのです。電話というのは、この場合ならその工事を受注した企業への電話を指します。どうするかというと、「『月刊○○』さんが工事のことを記事にしたいっていってるのでね、ひとつ協力してやってくれ」というひと言を役所の担当者が企業に電話で言うだけです。このたったひと言だけで、企業側はすべてを察します。
 編集スタッフは次に、役人が電話をした企業の担当者にアポを取って会いにいきます。そして、「お願いします」と頭を下げます。「いくら?」と相手は聞いてきます。スタッフは指を3本とか5本、ときによっては両手の指全部を立て、それでも足りないときは仕方なく小声で金額を言います。担当者は「前回と同じね…。まあ仕方ない。△△さんからの話だからね」と、これで商談成立です。
 △△さんというのは役所の担当者の名前です。この担当者がちょっと声をかけてくれるだけで、多くの企業は名もない雑誌にも広告を出すのです。こんなに簡単に金が入るので、雑誌を発行する者にとって、これはたまらなく魅力的な手に思えます。実際には役所に取り入るスタッフは大変な苦労をしていますが、それでも金になる確率の非常に高い方法なので多くのジャーナリズムはこの方法を捨て切れません。
 役人がこの許認可権を持っているかぎり天下りはなくならない。彼等高級役人は、天下りしてなぜ悪いと本気で考えている。私は何人もの役人に会って取材したり飲んだりしたが、天下りに罪を感じている人は皆無だった。彼等の家族もそうである。特に奥さんはそうだった。彼等は天下りを当然の権利と考えている。そのため、天下り用の怪しげな団体を税金で作り、役所を退職したらそこに天下りして、ろくな仕事もしないくせに高給をもらい、凄い退職金までもらうのである。私には彼等のそういう神経がまったく理解できない。泥棒と同じではないか。
 確かに雑誌や新聞を発行していくのは大変なことです。100ページ程度の雑誌でも、毎月発行していくとしたら、スタッフの人件費などを入れると最低でも毎月300万円近くかかるでしょう。これを広告だけで稼ごうとしたら、知名度の低い雑誌は成り立たないと思います。
 しかし、本来、税金の使い方を監視して役人のあり方に意見しなくてはならないジャーナリズムが、役人の許認可権を利用して金儲けをしてよいものでしょうか。「だって生活かかってる」とは、そんなジャーナリストたちの決まり文句です。では、生活のためなら何をしてもよいのでしょうか。そんなことはないでしょう。
 いやしくもジャーナリストの一員であれば、少なくともそんな言い訳はすべきではないと私は考えます。生活のためなら、ほかの仕事をすればいいと思います。それができないというのであれば、ジャーナリストの看板を降ろしてほしいと思います。

●ペンの力で強請りとたかり

 そういう私も、前述したような仕事に携わったことがあります。毎日が嫌で嫌で、心はすさむばかりでした。雑誌をやっているとか、ライターですとか、もちろんジャーナリストですなんてことは恥ずかしくて誰にも言えませんでした。
 それでも雑誌作りを捨てきれなかったのは、そのうちに本当のジャーナリズムの仕事ができるはずだという希望を持っていたからです。しかし、その希望をも打ち砕くことが起きました。
 私は上司からある企業についての記事を書くように指示されました。その企業がオープンさせる施設についての批判記事です。私もその施設についてはその企業が言うような存在価値がないと考えていたので、すぐさまOKして取材を開始しました。そして原稿ができました。自分でも満足するできばえでした。
 すると上司はその原稿を持って社長のところへ行き、ひそひそと話し込みはじめました。話を終えると上司は私を伴ってその企業に行くと言いました。何をするのかと不審に思いながらも私はともにその企業へと足を運びました。担当者に会うと、上司はなんと原稿を先方に見せるではありませんか。担当者の表情は次第に険悪になり、読み終えると「それで?」とか何とか聞いてきました。上司は営業活動に入りました。回りくどい言い方でしたが、要するにこの記事を載せてほしくなければ広告をくれという話でした。
 このようなことをして企業から金を取っている雑誌がたくさんあるとは、噂では聞いたことがありました。しかし、自分の所属する編集部までもがそうだったとは、実際、愕然としました。私の住んでいるまちでもいくつか雑誌が作られていますが、そのなかではこの雑誌は比較的良心的に作られているほうです。それでも脅しまがいのことをして金を取っていたのです。

●大新聞も例外ではない

 以上のような金付き記事が、私の関わった政経誌では全ページの半分近くを占めていました。残り半分は純粋な広告ですから、記事に代表されるいわゆる編集ページのほとんどが金付きだったことになります。つまり、その雑誌のほとんどのページは、見た目は記事のようなものでもほとんどすべて実質は広告だったというわけです。
 このような実態は、多かれ少なかれほとんどの雑誌に当てはまることです。雑誌だけでなく、新聞でもそうです。新聞の場合は金付き記事なら上の欄外に「広告」と明記するのでまだましですが、それでもジャーナリズムのあり方として私は疑問を感じざるをえません。
 今でもジャーナリズムに未練はあります。しかし、本当の意味でジャーナルな仕事ができないのであればジャーナリズムの世界に戻りたいとは思いません。 残念でなりません。


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