〈日本人のルーツは?〉
●日本人はどこから来たか!?
(11.7/96)
突然ですが、あなたは日本人がどこから来たかわかりますか? そんなことわかるわけないし、わかってもしようがないじゃんと言うでしょう。
その通りです。でも、私にとってこの問題はかなり大きなものなのです。自分でも理由はわからないまま、日本人のルーツについて昔から気になっていました。
最近、特に気になって関係する本をいろいろと読みました。「日本の古代1-倭人の登場」「古事記物語」「原・日本人の謎」「逆説の日本史」「日本の原像」「騎馬民族国家」「アイヌは原日本人か」等、日本の古代に関する本はもちろん、日本人のルーツを探るのに大きなヒントとなる日本語の成り立ちについての本、例えば「日本語」「日本語の起源」「日本語をさかのぼる」などを読み漁りました。
いろいろ読んでみて、おおざっぱに次のようなことは言えるようです。つまり、最初、日本には狩猟・採集民族がいた。それがいわゆる縄文人まで。そこにあるとき、稲作をする民族がやってきました。これがいわゆる弥生人のもとになります。ここまではどの学者先生もだいたい同じ意見のようです。そこに大陸から騎馬民族がやってきて日本を統一したというのが、江上波夫氏の唱える騎馬民族征服説です。
●縄文人はどこから来たか!?
それはともかく、では縄文人はどこから来たのか? あるいは、もともと日本にいたのか…。これについては、もともといたにしてもそれは少数で、多くはほかの場所からやってきたと言えるようです。ある一団は南の海から、また別の一団は北の大陸からとか、いろんなところから来たようです。だから、ひとくちに縄文人といってもさまざまだったように思います。縄文後期の人々はたぶん混血してだいぶ均一になっていたような気はしますが…。ただ、この縄文人の後裔が今でもこの日本にいると言ってよいと私は思っています。
もちろん、すべての日本人はみな縄文人の後裔です。そういう意味ではなく、縄文人の身体的特徴や文化を少しでも多く保っている人々がいるということです。それは、沖縄の人たちとアイヌの人たちです。このことについては異説もあって断言はできないようですが、私自身の印象では十分に納得できる話なのです。
私は北海道に住んでいて、アイヌの人々のことを本州以南の人よりはよく知っています。そして、新婚旅行で沖縄に行ったとき、沖縄の人々の顔の印象と言葉がアイヌの人々のそれと似ていると直感しました。のちに、縄文時代の犬のDNAだかなんかが現代のアイヌ犬のそれと共通しているという研究報告を読み、妙に納得したものです。
縄文後期、山野や海辺を生活の場としていた民族の平和な天地に、どこからか稲作民族、つまり弥生人がやってきました。弥生人は西のほうから東進して今の関西に中心を置いたようです。その中心から弥生人は勢力を拡大しました。その結果、原住民とも言える縄文人は日本の南と北へと移動した……それがアイヌと琉球人になったと、私はそう考えます。
十何年も前、松本清張の「砂の器」を読み、出雲地方にズウズウ弁があることを知りました。日本の中で東北地方と出雲という、だいぶ離れた地域に似た話し方というか発音というか、まあ方言があるということを不思議に思ったものです。今にして思えば、もしかするとズウズウ弁は縄文人の一派の言葉の名残なのかもしれないと考えます。中央から追われて周辺へと散らばった、あるいはもともと周辺にいて中央とあまり接触しなかった縄文人がいて、それが出雲と東北地方を中心に定着したのかもしれません。
古事記や日本書紀には、日本の成り立ちとして、降臨したアマツカミに土着のクニツカミが国土を譲り渡したという話が出ています。アマツカミは稲作技術を持って日本にやってきた民族(弥生人?)をあらわし、クニツカミはそれまで日本を治めていた民族(縄文人?)を指します。そのクニツカミと出雲の地とは深い関わりがあったらしいのです。そんなことからも、私の想像はそう突飛ではないと考えるのですがいかがでしょうか?
●弥生人はどこから来たか!?
では、弥生人はどこからやってきたのか? これは今の中国からという説と朝鮮半島からという説に分かれるようです。稲の原産地が南方だという事実から推測すると、私はどうも中国南部から来たのではないかと思います。弥生時代の始まったころ、中国は秦の始皇帝による統一事業が行われていました。その混乱を逃れて海外に出た人々がたくさんいたようです。その一派が稲作技術を携えて日本に来たのではないでしょうか。
ただ、そうすると言葉の上での疑問が持ち上がります。今の日本語と中国語は文法はまったく違うし語彙もまるで符号しません。これは別の系統の言語だとしか言えません。弥生人が中国人だとすると、この言葉の問題が出てくるのです。つまり、弥生文化という大きな文化を築いた民族の言葉がその後にまるで痕跡を残さずに消えるはずがないからです。私もこの問題に関しては頭を悩ませていました。弥生人の来たのが中国ではなく朝鮮からだったとすれば、朝鮮の言葉と日本語は文法も語彙も似ているので納得できます。では、弥生人は朝鮮から来たのでしょうか?
朝鮮からも来たでしょう。しかし、私にはどうしても主に中国南部から来たように思われるのです。というのは、古代から中国の人がすべて中国語を使っていたとは言えないらしいからです。特に中国南部の人々は中国国家から異民族のように見られていたふしがあります。言語も違っていたと考えられるようです。
最近、日本語の源流が古代インドの南に住んでいたタミル人の言葉にあるという説を読みました。タミル語が文法はもちろん、多くの語彙、そして五七五の詩の作り方についてまで古代日本語と共通しているだけでなく、さらにタミル人の墓の作り方などの生活習慣においてまで、古代日本のそれと多くの点で符号するそうです。
このタミル人が直接、日本にやってきたとは考えにくいのですが、その後裔が来たということになればありえるでしょう。インド南部から散らばった民族が東南アジア、中国へと次第に進出し、何世代も経てその後裔が日本に上陸した……十分に考えられることのように思います。
(いつだったかテレビで牧瀬里穂が自分の父親について「インド人に似ている」と言っていました。彼女は九州の出身です。弥生人が日本に最初に上陸したのはどうやら北九州です。昔のタミル人が現在のインド人のような顔をしていたかが問題ですが、牧瀬里穂のこの発言は弥生人=タミル人の学説を読んだとき雷光のように私の脳裏によみがえりました)
そして彼らはそこで稲作をして定着し、人口を増やしていったのではないでしょうか。
●日本人はあらゆる民族の混血
では、そのうちのどの民族が今の日本人の主なルーツになるのでしょうか?
ある学者は、今のバイカル湖沿岸に住んでいる民族のDNAと現在の日本人のそれがそっくりなことから、日本人のルーツは大陸にあると考えています。私は江上波夫氏の騎馬民族征服説に一理も二理もあると考えていますが、その根拠のひとつはこれにあります。バイカル湖沿岸といえばかつて騎馬民族が繁栄した土地の一画だからです。
ただ、生活習慣、特に稲作を中心に据えた生活習慣やそこから生じた文化が現在の日本の基本になっていることを思うと、大陸の騎馬民族が圧倒的多数でやってきて日本に定着したとは考えにくいのです。騎馬民族がやってきたとしても、その数はたぶんそれほど多くはなかったように思います。数の上では縄文人と弥生人のほうがはるかに多かったと思います。混血を重ねていく過程で、どういうわけか大陸の血が濃くなったのではないでしょうか。
いずれにしても、日本人というのが大陸の遊牧民族と稲作民族、狩猟民族、そして海洋民族などの数千年に及ぶ混血の歴史のなかで生まれてきたことは確かだと思います。
私としては、日本人のルーツは何々人だとはっきりさせたいのですが、それは現実的ではないようなので残念です。ただ、一人一人の血について最も濃いのはどの民族の血だろうかという想像は許されるでしょう。
私の場合は、北方騎馬民族の末裔の端くれのような気がします。鼻は低くて毛深くなく短足、 暑いのは苦手で野菜が嫌いで肉が好き、集団行動が苦手で個人プレーが好き、日本のいわゆるムラ社会が大嫌いときたら、これは農業民族ではないなと思うのです。鼻の高低や足の長短などは別として、以上のことは人が育っていく過程で身に付く習慣のようなものばかりです。ですから私のルーツとは何の関係もないのでしょうが、どうも気分として自分が農業民族だとは思えないのです。広々とした天地に生きる騎馬民族がイメージとして好きなのでしょう。私が北海道に渡ったのも、その血のなせるわざかもしれません。
さて、あなたのルーツは何民族ですか?
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